みんながオレの悪口を言っている
ロマン・ポランスキーという映画監督がいて、名前からも判るように変態なのだが、正体不明の包囲網に追い詰められる主人公をテーマにした作品をいくつか撮っている。「反撥」「ローズマリーの赤ちゃん」「テナント/恐怖を借りた男」はいずれもアパートを舞台とした半密室劇で、不快感と神経症的な雰囲気に満ちた傑作だ。こういうシチュエーションを平然と描きだすのは一種のマゾッホ的変態性欲の現れに他ならないわけだが、果たしてこれは主人公の妄想なのか現実なのかという話の組み立てが非常に巧く、やがて主人公の精神は不可避の状況のなかで否応なく崩壊していくのである。統計をとったわけではないので断言はできないが、被害妄想というか疑心暗鬼というか、こういう心理状態になることは誰でもあると思う。自意識過剰だとか思い過ごしだとか、本当は誰も他人をそれほど気にしていないとか、いややっぱりお前に問題があるとか、いろいろ言ってはみるものの、所詮どれも言い換えというか言葉遊びであって推論の域を出ないし、実のところは内的な要因と外的な要因が複雑に関連しあっているので本人にも周りにも断言できないはずだ。といって逆にどれが間違っているとも言えないので、結局どれもちょっとずつ当たっているというもっとも妥当かついい加減な結論に落ち着く。実体をもたない現象を言葉で説明しようとするとき、人間の言葉は常に現象を上滑りしているし、虚しい同語反復と思考の堂々巡りをしているだけなのだが、それでもあえて結論を出した気になって、果ては一般化して押しつける人までいるのは気休めを欲する人間の当然の行動だろう。まあそれはそれとして、こんなことをうだうだ考えたのは、このまえ数人で繁華街を歩いているとき、俺だけ客引きに立て続けに声をかけられたせいである。「お兄さんどこ行くんすか?」「兄貴、カッコいいっすね!」で、「あ、グループですか」そう言ってスッと消えていく。兄貴って何だよと思いつつもおかしいなあ、最近やっと宗教の人とか警察の人から声をかけられなくなったのにと軽くショックを受ける。なんでだろうと真剣に考えているうちにだんだん気分が落ち込みはじめた。俺の本質は人間不信のひきこもりなので、そういう場所を歩くときは誰も近寄らないようにオマエナンカキライダ光線を発しているし、サングラスもかけて相手の目を見ないようにしている。それが逆効果になって「我輩はカモである」的なオーラをキャッチされたのだろうか。だとしたらまったくもって気分が悪い。言っておくが、声をかけられる方とかけられない方のどちらがマシかなどという議論は意味がない。そんなものは本人次第に決まっている。まあどうでもいいや。いずれ総統が復活したらお前ら全員死刑だ。そもそもお前はこういう理屈っぽいことを言ってるからダメなんだよ、他人の視線が気になって身動きがとれなくなるのは典型的な自意識過剰のひきこもり、とまあ他人は無責任だからなんとでも言いますが当人にしてみれば非常に不安なわけで、不安は見えざる悪意の外敵を作り出す。それは鬱か神経衰弱の予兆である。用心めされよ。あ、そうそう。どうでもいいけど隣の猫があんたの悪口を言ってたらしいよ。