The Day’s Angel
カーテンを締めきった真っ暗な部屋。ひと気のない部屋の隅に、何かが、かすかにうごめく。キチガイだ。キチガイが一匹、うずくまっているのだ。静寂をやぶって、ドアーズの「The End」が静かに流れ始める。キチガイは暗闇を凝視しながら、安い酒をひたすら呷る。アルコールにふやけた頭で、最期の歌に聴き入っている。曲が終わった。そのとたん、ふたたび同じ曲が流れ始める。エンドレスで流しているのだ。十何回めかの「終わり」の後、キチガイは、腐った目を朦朧と閉じた。もはやその目は何も映さなかった。そしてウンコ色の眠りが訪れた。
……ワシの最期はまあこんな感じかな。
中島らもの本を読んで、何かが残るということはほとんどない。ただ漠然とした共感があるだけだ。ラリって書いたような文章のなかに、ひどく真剣で研ぎ澄まされたものが混じっている。かと思ったらやっぱりふざけているだけだったりする。聖なる酔っ払い。そんな調子だから、小説もそれほど記憶に残っていない。「ガダラの豚」でさえ僕には苦痛だった。本当に好きなのは「白髪急行」ぐらいだろうか。エッセイも大半を読んだが、不思議なぐらい内容を覚えていない。ただ、「その日の天使」というエッセイだけは、強烈な印象を受けた。「The Day's Divinity, The Day's Angel」というジム・モリソンの歌詞を、自分は「その日の天使」と勝手に解釈している、というだけのものであった。ところが調べてもそんな歌詞の曲はない。近いのはあるが、まったく同じものはない。おそらく本人の勘違いで、記憶がごっちゃになっているのだろう。しかし、今でもふとこの言葉を思い出すときがある。煮詰まって、どうしようもなくなったような日に。