階段の踊り場で踊っている人は見たことがない
世の中には頑固な人がいるもので、こないだ電車に乗っていてビックリした。「まもなく○○〜、○○〜」というアナウンスと同時にオッサンがせかせかと立ち上がり、扉の前に待機した。よくいるせっかちな人で、駅に着いたら真っ先に降りるつもりなのである。ところが思いもかけぬ不幸がオッサンを襲った。オッサンの予期に反して、電車は別のホームにすべりこみ、あろうことか反対側の扉が開いたのだ。なんという不覚! オッサンをさしおいてぞろぞろ降りる乗客の群れ。「く、くそう……、駅に着いたら真っ先に降りるつもりだったのにっ!」そうオッサンが思ったかどうかは知らないが、そのあとオッサンは驚くべき暴挙に出た。なんと、目の前で閉まったままの扉を、むりやりこじ開けようとしはじめたのだ。まるでこっちが本当の降り口だとでも言うかのように。そう、オッサンはあまりにも駅に着いたら真っ先に降りたかったので、むかい側が降り口だという事実を認めたくなかったのである。背後でなにか扉の開くような音が聞こえたような気もするが、錯覚に決まっている。そんなものは存在しない。なぜならこっちが降り口なのだから。そんなわけで、オッサンはむかい側の扉が閉まり、電車が動き出した後もなお首をひねりながら扉をこじ開け続け、首をひねりながら次の駅でしぶしぶ降りた。もしあのとき本当に扉が開いて脱出できたとしたら、どうするつもりだったんだろうね。ホームがあったことにして何食わぬ顔で空中を歩くつもりだったのだろうか。合掌。
と、またウソを書いてしまったが、まあ世の中はこの手の怨念にも似た執着心で満ちています。意固地の精神である。自分が正しいと信じて疑わず、他人になんと言われようとわが道を猛進する人。また、自分の軌道が誤っていることに途中で気づき、修正することもできるはずなのに、ひっこみがつかなくなって誤った軌道をどんどん歩いてしまう人。こういう意固地な精神が新しいものを生み出したり生み出さなかったりするので一概に良いとも悪いとも言えないが、まあ傍目には蛮勇とも無思慮ともマゾともつかず、本人にとっては信念だったり信仰だったり病気だったり、はたまた無能さの弁解だったりする。俺も方向音痴なのに「勘」を頼りにふらふら歩いてしまう癖がある。なにしろ目標というものがないので、その目標を探すために歩いてしまうという始末の悪さ。で、どんどん迷子になっているのにも気づかず非在の理想郷を求めてほっつき歩き、いつのまにか足元が消えていることに気づいたりする。