Grand-Guignol K.K.K

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甘いものが多すぎる

甘い。なんでこんなに甘いのだろう。これの半分、いやせめて4分の3ぐらいに甘さが抑えてあればもう少しまともな食い物になるのに、と思うことがよくある。とくにひどいのが、羊羹とか饅頭とかの和菓子のたぐい。甘いものは人間にとって快感のひとつであるのは事実である。しかし、必要以上に甘く味つけされたものが世の中にあふれている。味覚の標準が狂っているような気がする。じゃあ、とたぶん甘いものが好きな人は主張するだろう。何を基準に甘いだの甘くないだのと言えるのか。そう、甘さの基準なんてものはどこにもない。そんなものはお前の好みの問題だと言われたらそれで終わりだ。お前が神経質すぎるのだと。が、俺の味覚が過敏だとどうやって証明するのだろう。それと同様に、世間の味覚が飼いならされて麻痺しているだけだという可能性も否定できまい。人間の五感というものは刺激に対して驚くほどたやすく鈍磨する。味覚異常は甘味への鈍磨から始まる。
ただでさえ今の世の中には甘いものが多すぎる。とりあえず甘くすればいいやという安易さが世の中全体を覆っているように見える。なんといっても甘いものはみんな大好きだからな。いちばん無難だ。そう、無難なのである。甘いものは万人受けしやすい。それがこの問題の根腐れをさらに助長している。この発想の安易さの元凶は和菓子であると俺は断言する。どこそこへ旅行に行ってきました。温泉とかに浸かってきました。で、土産物といえばほぼ確実に饅頭とかそういうたぐいのものだ。激辛風味のお土産なんてまず売っていないし、万一売ってあっても買う人はごく一部。高級和菓子を擁する老舗は固定の顧客があって切羽詰らないし、低級和菓子でも土産物としていくらでも捌け口がある。こんな状況だから和菓子業界は伝統のうえにあぐらをかいていると批判を受けてもしかたがない。否、むしろ甘受すべきであろう(笑)。いくら花鳥風月を模って食材をこねくりまわす技術は秀でていても肝心のできあがったものが激甘で食えなくてはお話にならない。そうでなくても、土産物として売りつけるために工場で大量生産されている和菓子やスーパーで大量販売するために工場で加工されているお惣菜のたぐいが、まともな努力と反省のもとに作られているとは俺には思えない。そもそも作っているやつは味見をしているのだろうか。味見をしているとして、そいつの味覚は正常なのだろうか。あまりにも甘いものを食べすぎて味覚異常を起こしているかもしれないし、どうせ自分は食べないからとヘラヘラしているかもしれない。決まりきったマニュアルどおりか、またはおのれの歪んだ味覚を基準にどっさりと甘味料をぶちこむ。で、たまに味見をしても「まあこんなもんだろう」「饅頭とはこういうものだ」ぐらいにしか思っていないのではないか。
このような和菓子業界の怠慢と惰性にまかせたものづくりが手伝って、甘いもの信仰がどんどん蔓延していく。そして恐ろしいことに、もはや甘くなくては売れないのだ。なぜなら怠惰なのは和菓子業界だけではなく消費者もまた同様だからである。平均を求めれば求めるほど、甘いものが求められているという結論に達せざるを得ない。消費者はそのような世間の風潮に飼いならされてさらに鈍感になっていく。悪循環である。キムチは発酵食品ですぐに酸っぱくなるから砂糖を入れて甘ったるくしましょう。野菜ジュースは100%じゃ飲みにくいので果汁を半分にして甘くしましょうね。焼き鳥は塩だれなんかより甘だれの方が子供やお年寄りにも受けるからどんどん仕入れてくださいね。なんでもいいからとりあえず甘くしましょうね。甘ければ誰も文句は言いません。文句を言う人は頭がおかしいのです。もっと気楽にいきましょうよ。始めは甘すぎると思った人もやがて感覚が麻痺し、「甘い=旨い」の硬直思考に脳髄を犯された甘党ゾンビのお仲間入り。こうしてどんどん世の中はうす甘い食品群に支配されていくのだ。別にいいじゃないか、という意見もあるだろう。しかし俺が知っている限りで、甘いものに鈍感なやつはすべてにおいて鈍感である。人一倍食い意地がはっているくせに味覚は鈍感、その結果自らの食文化を軽視しているとは微塵も思っていない。食文化が乱れた国はいずれ崩壊する。