ノスタルジア
「ノスタルジア(NOSTALGHIA)」(1983 伊・ソ連 アンドレイ・タルコフスキー監督)
ある男が泥沼に落ちた男を助けた。助けられた男はカンカンになって怒った。「住んでたのに!」
廃墟が好き。水たまりが好き。排水溝が好き・・・私はタルコ。と、もちろん本人がそんなことを言ったわけではないが、泣く子も眠る天下のネクラ詩人タルぴょんの手にかかればイタリアの乾いた空も鬱陶しい沈んだ寒空になる。その本質的な暗さゆえ神格化されることの多いタルコフスキー。神はしんねりむっつり荘厳な顔でもちろん軽口なんかは言わない。そんなタルの暗い思念波と全編を満たす排水音が観客のアルファ波を誘発し、カンヌも爆睡しながら絶賛したというこの作品。繰り返し現れる廃墟や水のイメージ、水浸しの地面を痩せた犬が嗅ぎまわるというようなタルぴょんの大好きなイメージが、澄み切った湖に広がる波紋のような映像美と詩的フェチズムでもって描かれており、それゆえ陰々滅々たるお経が流れるなか鼻血が止まらない、というような爆笑もののシーンですら荘厳さにあふれている。ロシアに帰りたい。かなわぬ思いに私は押しつぶされる、というモノローグが端的に物語っているがこの映画で描かれるのは「マルテの手記」風の異国の地での疎外感と、たとえようのない喪失感であり、故郷を失ったタルコ自身のセルフセラピー的な意味あいが強い。過去という亡霊にとりつかれた男の悲劇。感動的なラストシーンは祈りにも似た希望と不可能性のめまいであり、形而上的な自殺のようでもある。過去とは記憶のなかでしかつなぎとめられないもの。だからこそ亡き母親に捧げられた「ノスタルジア」はモノクロームの記憶のなかで神々しい光を放っている。タルコフスキーの映画が誘う眠気にも似た郷愁または郷愁にも似た眠気とはたぶんに母胎回帰的なものであって、けだるくてしかもそれが少しも不快ではない、ゆりかごのような心地よい虚脱感に満ちているのだ(爆睡 ★★1/2