ブリーフいっぱいの愛を
公共の場、たとえば電車のなかなどで食べ物をほおばるのは一般にお行儀がわるい、はしたない行為だとされています。食事はレストランのように一定の空間でのみ許容されている不浄の行為だからです。堂々と車内で駅弁を販売している新幹線だとさほど恥ずかしさはありませんが、ローカル線だとなぜか抵抗がありますよね。排泄についても同じことが言えます。この場合事情はもっとはっきりしていて、公然排泄は軽犯罪として法律で禁止されています。トイレのような隔離された空間でのみ排泄行為が許容されます。一方でこれらは一種の共犯感覚とでもいいますか、社会学的に言えば罪と穢れの意識を他人と共有することによって、共同体の結束をはかるという効果があります。進化の過程で人類が経験的にあみだした知恵のようなものだと言えるかもしれません。電車のなかでおにぎりをぱくついている人や道端でウンコをしている人が決まり悪そうにしているのは、このような共同体の暗黙のルールに抵触しているという自覚があるからです。現代人のモラルがいかに低下していようとも、立ち食いや立ち小便といった場違いな行為をしているときには、罪悪感や羞恥心、後ろめたさといった負の意識が誘発されます。従ってそういう人をじろじろ見たりすると「見るなよ」という視線を返してきますが、本来そういう立場ではないわけですね。逆ギレもいいところです。
このあいだ電車に乗っていて、向かいに座って本を読んでいる人と偶然目があってしまいました。すると、いかにもきまりがわるそうに、怒ったように私をにらむのです。ははあ、なにかスケベな本を読んでるな、と私はピンときました。フランス書院か団鬼六か、何を読んでいるのかは知りませんが、おそらくその方面のフィクションの重要な場面にさしかかったときにふと我に帰り、誰にも見られていないことを確認しようとしたら見られていたので一気に羞恥心が沸き起こり、その羞恥心を顔に出しては沽券にかかわるのでわざとらしく怒りの感情にすりかえてみせたのでしょう。人間とはかくも愚かな存在です。言うまでもありませんが、電車はエロ本を読むスペースではありませんし、ましてあなたがひそかに妄想している痴漢専用車両みたいなものも永久に実現しません。あいにくですが。というわけで、そういう愚かな人がにらんできたときは、「大丈夫大丈夫、誰も見ていないから(笑)」と微笑み返してあげるのもまた重要なルールの一つですね。殴られても知りませんが。