Grand-Guignol K.K.K

The half of this site consists of gentleness. The other half of this site consists of lie. Sorry, this is all shit in the end. Here is MATERIAL EVIDENCE: (^ ^)ノヽξ

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

社会的弱者のみなさん。この世は差別と偏見に満ちています。誰もが他者を差別しながら生きています。われわれの誰一人としてその例外ではありえません。なかには他者を貶めることによって辛うじてアイデンティティを保っているような最底辺の人々もおられます。そして誰もがそれを直接的には意識しておりません。
以前から申し上げている通り、われわれは他人に対してさほどというかほとんど思いやりをもっておりません。東京駅の構内でねそべるホームレスの方々を目にしても、なすすべもなく途方に暮れるのはまだ良い方で、大半の人が目もくれずもしくは見て見ぬふりをして通り過ぎます。明日はわが身の無力なわれわれにとって、それは正しい態度であり当然の選択であって、かれらを糾弾するつもりは毛頭ありません。
そして現代はハラスメントの時代です。本当はずっと昔からそうなのですが、言語化し意識化した時点で図らずもこのようなテーマと対面せざるを得なくなったのです。ハラスメントが他者に対する思いやりの欠如、裏を返せば人格無視の差別意識に端を発しているのは疑いようもありません。そもそもこの日本という国、昔から差別に対して超がつくほど大らかなのですが、「○○の不自由な人」という明示的な差別表現を回避する一方で差別の由来を間接的に浮き彫りにするという矛盾を平気で犯すような感性ですから、それもやむをえないのかもしれません。
このような社会的差別に対してもっとも先鋭的であったのが、ウーマンリブでありフェミニズムでありジェンダー論者であったわけですが、いまやこのハラスメントの問題は手を伸ばせばすぐ届く卑近なレベルにまで及んでいることに気づきます。まわりを見わたせば、あらゆる嫌がらせの根深い嘲笑と怨恨の声が限りなく渦巻いているではありませんか。セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)、アルハラアルコール・ハラスメント)、パワハラ(パワー・ハラスメント)、アカハラ(アカデミック・ハラスメント)は言うに及ばず、ポバハラ(ポバティ・ハラスメント)、キチハラ(キチガイ・ハラスメント)、コジハラ(コジキ・ハラスメント)、ブサハラ(ブサイク・ハラスメント)、ヒキハラ(ヒキコモリ・ハラスメント)、ほかにもロリハラ、ホモハラ、ヲタハラ、ネクラハラ、オカマハラ、デブハラ、ハゲハラ等々、身近なハラスメントの例は枚挙にいとまがありません。なおかつ誰もが差別の事実に気づいていながらあたかも差別が行なわれていないかのような顔をすること、これはもはや公然の秘密というべき社会的常識になっています。
社会的弱者のみなさん。わたしたちは所詮無力な存在です。日々みなさんがこのようなハラスメントに直面し、苦痛に満ちた時間を耐え忍ばれていることは想像に難くありません。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、屈辱と優越のあやういバランスの上でみなさんの精神が均衡していることを私も存じ上げております。では、わたしたちはこのようなハラスメントに対してじっと耐えるしかないのでしょうか。あきらめて沈黙してしまうべきなのでしょうか。怒りを燃やしたところでおのれの無力さを痛感するだけでしょうか。いいえ、そんなことはありません。確かにわれわれは無力です。だからこそ私はこう申し上げたい。われわれには匿名性という武器があります。インターネットという闘いの舞台があります。屈辱とともに闇に葬られたハラスメントを一件ずつ掘り起こし、人々の押し殺された声なき声を、名もなき語り部として記録するのです。みなさんよく今まで我慢されましたね。ついに解放の時がやってきたのです。いまこそ手に手をとって立ち上がり、理不尽な圧制を強いたあらゆる抑圧者どもに相応の報いを与えようではありませんか。
というわけで主旨に賛同いただいた方は、下記の入力フォームに日頃のウラミツラミを記入のうえ、送信ボタンをクリックしてください。もちろん名前などの記入は不要です。残念ながらどこにも送信されませんが、あなたの思いはきっと浦安の清龍神社あたりに届くことでしょう。




『ごめんなさい…ひー!』