多文化主義の功罪について
http://www.excite.co.jp/News/society/20050612224700/20050613M40.068.htmlかつて芸人くずれのタコおやぢを府知事に選出し、のみならずセクハラで訴えられたタコを見て「○ックちゃんかわいそう」などと驚くべき見解を示されたこの土地の方々の感性にはまことに端倪すべからざるものがあります。上記トラブルにおける押し問答のあまりにプリミチブな面白さは、さすが日本最多のキチガイ保有数を誇る都といったところですね。褒めてます、念のため(笑)。自転車の通行巡り口論 男性切られ、男逃走 大阪
12日午前11時半ごろ、大阪府豊中市神州町1の歩道で、同市内の男性会社員(38)と男が互いに乗車中の自転車の通行を巡って口論となり、男が男性の左腕をナイフで切りつけた。男は自転車で逃走し、男性は軽傷。府警豊中南署が傷害容疑で捜査している。
調べでは、男性が自転車のベルを鳴らして男を追い抜いたところ、男が自転車で約50メートル追いかけてきた。男が「なんで(ベルを)鳴らすんや」、男性が「なんやおっさん」などと言い合いになり、男がズボンのポケットからナイフを出してもみ合う間に男性は負傷したらしい。男は身長約165センチ、短い白髪で60歳ぐらい。白色ポロシャツ、茶色ズボン姿。
閑話休題。さて、この事件そのものは凄まじくどうでもいいのですが、この記事がかねてから私が疑問に思っている問題のたいへんわかりやすい例であったため引用しました。私などが今さら指摘するのもおこがましいのですが、マスメディアが意識的・無意識的に「男性・女性」と「男・女」を使い分けていることは皆さんもご存知ですよね。世の男性・女性は、犯罪者になったとたん男・女に呼び名が変わるのです。報道番組のアナウンサーが「逃げた男性は」と言ったあとで、「逃げた男は」とわざわざ言い直すといった微笑ましい光景もしばしば見受けられます。マスメディアの表現ほど突っ込みどころの多い摩訶不思議な日本語もないと思うわけです。
で、後者に差別的なニュアンスをもたせているのは明らかなのですが、私にはいまだにこの使い分けの根拠がわかりません。前者は漢語、後者は和語(やまとことば)という程度の違いですので、改まった漢語表現を「ちゃんとしている方」、くだけた大和言葉を「ちゃんとしていない方」に分類しているとしか思えないのですが、どんなものでしょうか。
この伝でいきますと、同様の例がすぐに想い浮かびます。たとえば<大便>と言えばソリッドでかっこいいイメージがありますが、<うんこ>という語を口にするのは非常にまぬけで恥ずかしい。職業<乞食>といえばある種の反逆的なステイタスとなりえるが、職業<物乞い>ではあまりに哀れで屈辱的です。<狂人>と言えば芸術的狂気を想起させるが、<きちがい>では単に頭のおかしな人という意味にしかならない。<ホームレス>と呼ぶとスマートに聞こえるが、<宿無し>ではまるでサマにならない。よくよく考えてみると、日本語におけるカッコイイ表現というのは、漢語やカタカナ語といった外来語にことごとくお株を奪われているわけです。マルチカルチュアリズムの美名のもとに自国の文化を食いつぶされ、外来語に対して日本固有の表現は常に下位に位置づけられてきたといっても過言ではありません。まことに、現在のわが国と諸外国との国力の差を証明するかのようなフェノミナと呼ぶべきで御座いましょう。笑えます。
*お詫び*
ただいまハゲが失礼なことを申しました。謹んでお詫び申し上げます。