轢死体・オン・ザ・ロード
夏の終わりの雨がやさしく地面を叩くとき、カエルたちの歓喜の声が一斉に湧き起こる。漣のようなざわめきを縫って、やがてどこからともなく生ぐさい臭気が漂いはじめる。浮かれて道路に飛び出したカエルが車に轢かれ、路上でずるむけになっているのだ。カエルであったものの断片は原型をとどめぬほど何度もタイヤに踏まれて引き裂かれ、いつしか溶けてなくなる。
カエルの轢死体はなんとなくユーモラスだが、哺乳類となるとじつに痛ましい。道路を中途半端なスピードで横切ろうとしたタヌキが、あっと言う間もなく鈍い音をたてて車にぶつかるのを見たことがある。道路に横たわった瀕死のタヌキは誰にも看取られることなく天に召されていく。ああいう光景を見ると、本当にいたたまれない気分になる。
路上死体(ロードキル)は事故死が大半だと思うが、なぜ彼らは道路に飛び出すのだろうか。両生類はそこらへんあまり考えてなさそうなので、まあわからなくもない。しかし、前述のタヌキはどう考えても轢かれるタイミングで飛び出したし、むしろ突っ込んでいったというほうが正確なのだ。自殺としか思えない光景だった。猫やイタチのようなすばしこい動物ですらぺちゃんこになっていることがある。我を忘れてうっかり飛び出すのだろうか。あるいはその臆病さとスピードがあだとなって、いざというときに逃げ切れなかったのだろうか。一説によるとあれは習性なのでいたしかたないとか。走り出したら一目散。
きれいな死体ならまだいいが、手に負えないのが内臓のはみでてしまった死体だ。毛皮の上にホルモンが山盛りになっているのを見ると、かわいそうではなくてもはや単なるグロ画像。愛玩の対象であったものも一瞬で忌むべき対象となる。残酷だがこれは現実である。
ここでひとつ疑問なのだが、こういう路上死体はいつのまにか現場から消えているのだが、いつ誰が処分しているのだろうか。自然の摂理としてカラスなどがついばんでいく場合もあるだろう。しかし交通量の多い場所では誰かが処理をしなければ片付かない。引き取り手のない路上死体は自治体の当該部局に動物死体処理を担当している係があるはずで、現場を見たことがないので想像だが、市民から通報を受けておそらくこんな感じで出動するのだと思う。
「はい、○○市動物死体処理班です」
「道路でネコが死んでるんですが」
「ネコ担当にお回ししますので少々お待ちください」
「もしもし、<ネコ死体処理担当>です」
「道路でネコが死んでるんですが」
「内臓は出ていますか?」
「出てます。出まくりです」
「では今から30分ほどで<内臓の出たネコ死体処理担当>が現場へ参ります」
しかし当局に知らせたという人も回収している現場もお目にかかったことがないので確証はない。