UNKO・マイ・ラヴ
誰が置いたか知らないが
道端に小さなUNKOひとつ
名もなき詩人の
魂のさけび
道を歩いていると、予期せぬ路上アートに遭遇することがある。今朝も歩いている途中、側溝にぶちまけたすさまじいゲロの跡があった。朝帰りの酔っ払いが残していったものであろうか。路上に咲いたカラフルなもんじゃ焼きは、あたかも失敗した打ち上げ花火のようにいびつな姿で我々の前に立ち現れる。愚痴と胃液と未消化物が織り成す放射状のカオス。夢の残滓とアスファルトの情熱的なたわむれ。ジャクソン・ポロックかとみまがうばかりの荒々しい凄惨美に思わず見とれてしまった。やがてそれは干からびて塵となって舞い上がり、あるいは雨に洗われ下水へ流れ、母なる海へと還っていくのだろう。犬もまたさすらいの路上アーティストである。彼らが散歩の折々に生み出す意図せざるアートは大抵の飼い主によって回収されるが、どういうわけかたまに放置され、道端でちんまりと鎮座していることがある。ゲロのアグレッシブさに比べるとそれらのオブジェはじつにつつましい。沈黙の裏側に秘められた冷徹な意志が、あくまで控えめに存在を主張する。時代の片隅にひっそり咲いた徒花。誰かが踏んで滑って一直線に伸びたそれや、ブロックの角でいらだたしく靴底からこそぎとった痕跡を認めるとき、私の胸は激しく締めつけられ、わけもなく涙が頬を伝う。これぞまさにアール・ブリュット。ぶりゅっと。意味を勘違いしているとしか思えない。