Grand-Guignol K.K.K

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実戦・読書感想文の書き方

あー、読書感想文かくのめんどくせーと思っている小中高生のみなさん、こんにちは。その気持ちはよくわかります。本当にめんどくさいですよね。読みたくもない本をむりやり読まされて、案の定さっぱりおもしろくないのに、感想もへったくれもあったものではありません。まったく腹が立ちますよね。何を隠そう私も読書や感想文が大の苦手で、みなさんと同じ年の頃にはこの手の課題でずいぶん苦労させられたものです。このページにも「○○(書名)+読書感想文」で検索して来られる方がおられまして、きっとそういう小中高生のみなさんが困って検索しまくているのだろうなあと勝手に想像しています。超能力がバンバン出てくる話とか、人間が大量に死ぬ話とか、そういうのであればさほど苦もなく読めるのですが、課題に出されるのは、平和がどうのとか心がどうのという感じの鬱陶しいような話ばかりですよね。人情として、テーマが真面目であればあるほど、とても他人に言えないような不謹慎なことばかり思い浮かぶものです。結局まともなことはなにひとつ思いつかず、仕方がなく心にもないことをいやいや書く、とか、自分でもわかったようなわからないようなことを適当に書いてごまかすハメになるのですが、そういう不本意な気持ちはどうしても隠し切れないものです。むりやり書いているのを悟られて、けっきょく逆効果になってしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。じつを申せば、読書感想文のコツは意外と簡単なのです。私もこれまで数々の苦い経験を味わってきましたので、なんとかラクをしてなおかつ褒められる読書感想文を書く方法はないものかとずっと考えてきました。この機会にまとめてご紹介したいと思いますので、よろしければ参考にしてください。
さて、ここで問題です。大人が子供の感想文に求めているものは何だと思いますか。答えは、わかりやすさとおもしろさです。みなさんが感想文をめんどくさいと思うのと同様、本当は先生もみなさんの感想文を読むのがめんどくさいのです。先生もいろいろ忙しいのですが、仕事なので仕方なく股間を掻きながらみなさんの感想を読みます。そしてハア?と軽くキレつつアクビをするのです。「つまんねんだよボケ」と掲示板で文句をたれてるネット乞食と大差ないわけですね。みなさんはそんな忙しい先生の時間を奪っているわけですから、わかりやすくおもしろい感想で先生を喜ばせてあげるのは当然というべきでしょう。ではどうすればわかりやすくおもしろい感想文が書けるのでしょうか。


1.もっともらしい主張を述べる
第一のポイントとして、書き手の明確な主張があり、かつその主張がもっともらしいこと、これが重要です。主張というのは個人の主観的な意見のことです。単なる事実を述べているだけでは主張になりません。「世の中は人がいっぱいいる」というのは単なる客観的な事実ですが、「世の中は汚い」というのは事実であると同時にひとつの個人的な主張でもあります。主張であるからには、なにを言っているのかわからないもの、首尾一貫性がない(矛盾・破綻している)ものは、やはり評価されません。論理的に矛盾がなく、誰もが納得せざるを得ない主張、読んでいる人になるほど、と思わせる主張が必要です。たとえその結論がどんなに実際と異なっていても、説得力さえあればそれが真実になります。そういうのをもっともらしい主張と言います。
ではどうすればもっともらしい主張をもてるのでしょうか。結論から言えば、あたりまえのこと(常識的・一般的なこと)を中心に据えるというのがもっとも現実的な方法です。わかりやすく言えば、教訓(お説教)で充分です。たとえば寓話やおとぎ話で語られているのは、「悪いことをすると最後にえらい目にあう」「時間は大切にしないといけない」「努力をしても必ず報われるわけではない」など、要するにあたりまえの教訓ばかりですよね。しかしあたりまえであるからこそ普遍的な説得力があるのです。お説教なんて、わかりやすすぎて無味乾燥なのでは?と思うかもしれませんが、それに尾ひれをつけて、もっともらしく仕上げるのがみなさんの腕のみせどころです(次項参照)。誤解しやすいところですが、意見を述べるのに必ずしも奇を衒う必要はありません。一見非常識な見解を述べて論理的に回収する、という高等テクニックもありますが(逆説といいます)、破綻するリスクも大きいので慣れないうちはやめた方が賢明でしょう。もちろんおもしろい主張であるに越したことはありませんが、たかが学校の課題にそれほど力を入れてもしかたないでしょう。かと言ってどうでもいいようなこと、つまり言っても仕方のないことや、毒にも薬にもならないようなことは、主張であっても評価されません。たとえば「読書感想文なんて時間の無駄だ」というのは、一面の真理であり教訓めいた主張でもありますが、裏を返せば単なる愚痴であり甘えに過ぎません。また「マ○ド○ルドは体に悪い」というのもわかりきったことですが、主張としてあまりにも卑近すぎるうえ、なんの生産性もありません。そんなどうでもいいことばかり書いてお茶を濁していると、あなた自身がどうでもいい存在になってしまいます(←教訓)。


2.内容と関係ないことをでっちあげる
さて、前項で「わかりやすさ」のためのポイントをあげました。第二のポイントとして挙げたいのは、「おもしろさ」のための技法です。主張だけではすぐに書くことがなくなって規定の字数を満たせません。また、読んでいる方も、ものわかりのよいお行儀のよい主張ばかりではあきてしまいます。先生は表面的にはみなさんに優等生であることを求めますが、しょせん人の子ですから、心の底ではみなさんにおもしろい芸を期待しているのです。さきほど主張に「尾ひれをつける」といいましたが、尾ひれをつけるテクニックとして、内容と関係のないことを勝手にでっちあげる、という方法があります。無関係なこと、と言っても単にでたらめを書けばいい、というわけではありません。内容を踏まえた上で、わざと本筋とは関係のないことを述べ、読む側の関心を引くことに意義があります。よく使われるのが、身近なバカげたエピソードをそしらぬ顔で書き、それを強引に主張に結びつけるという方法です。一見いかにズレていようとも、それを前項の「わかりやすさ」でフォローするからこそ生きてくるわけですね。演出とはそういうものです。また、たとえば書かれている内容から類推して、もし○○ならこうだろう、などと好き勝手な空想をでっちあげる(敷衍と言います)という方法もあります。それは敷衍ではなくて曲解だ、と頭の固い理屈をこねる人もいますが、できるだけ曲解した方がおもしろいに決まっています。飛躍すればするほど新鮮な驚きを生みますよね。作者の真意などはどうでもよくて、要するに好きなように深読みをすればいいのです。そもそも、小説家は見てきたようなウソばかり書いています。みなさんはそのウソを読むのだから、それについて適当にウソをまじえて書くのは礼儀なのですね。そうすれば、字数は稼げるうえ、新鮮さも加わる。一石二鳥というわけです。読んだ人が勝手に勘違いしたとしても、知ったことではありません。上手なウソは本当になってしまうものです。
以上です。これで大半の大人はコロッとだませます。私もこの手で何回ピンチを凌いできたかしれません。こういうことを言うと怒る人もいますが、まあその人じしんが後ろめたいものがあるからでしょうね。人は時にこういう汚い手をつかって世の中をわたって行くものです。

3.やってはいけないこと
読書感想文を書くうえで、やってはいけないことがいくつかあります。
まず当然のことですが、誰かほかの人の感想文を拝借するのは基本的にやめた方がいいです。パクって一時的にいい点をもらえたとしても、バレたときが悲惨です。「まねっこどうぶつちゃん」の汚名を一生背負うことになりかねません。出来心とはいえ、あからさまに剽窃してしまった新聞のコラムニストや市長さんがみんなに責められて困っているというニュースを聞いたことがあるでしょう。読書感想文もそれと同じです。なまじパクってバレたときの言い訳の方が、感想そのものよりはるかに難しいのです。やるならバレないように工夫するべきですが、そんな工夫のできる甲斐性があるなら、もとからパクる必要もありませんよね。
また、頭がよさそうに見せるため、わざと小難しい言葉を使ったり、気取った言い回し(修辞と言います)を使うのもいただけません。これは最悪です。内容が伴っていれば話はまた別ですが、そういうものに限って見かけ倒しのこけおどしで、却って頭が悪そうに見えるものです。また、万一こけおどしでなかったとしても、先生に理解できないようなことを書けば反感を買うのは当然です。大人の感想文ですらなんだか意味がよくわからない例え表現(比喩・隠喩と言います)を見かけるほどですから、ちゃんとした先生ならば「こどものくせになまいきな!」「くうそでいや味な観念しゅみだ!」「エセ文化人きどりのうじ虫アートやろうめ!」とカンカンに怒ることでしょう。私もこの日記でたまに気取ったいやらしい映画の感想をうpしますが、じつはあるていど意識的にいやらしくしているのです。いままで黙っていましたが、これは自戒の念を込めているつもりです。つまり、あえて悪い例を示すことによって、反面教師になろうとしているわけです。意外に教育的なんですね。


4.困ったときは
まあなにごとも理屈どおりには運ばないのが常ですので、最後に困ったときの対処法を補足しておきます。ただしこれはあくまで困ったときの裏技であり、あまり使いすぎると本当に困ったことになるので注意してくださいね。で、こんなことを言ってなんですが、はっきり言って感想文のためにわざわざ本を読む必要などありません。本を読まずに書く方法があります。前述のポイントを押さえておけば、タイトルだけで内容を勝手に妄想することもできるはずです。さすがにそれではまずいと思ったら、適当にひろいよみをします。するとキーワードが目につくと思います。それをつなげればなんとなく内容が想像できるはずです。もしくは一番最後の段落(オチ)のみに着目して、そこから内容を逆算する、という方法でもかまいません。要は想像力なのです。また、どうしても書くことが思いつかない、という場合であっても、評価を度外視するのであれば、抜け道はいくらでもあります。一番かんたんな方法は、とりあえずケチをつけることです。表面的なこと(作者の容姿とか)や枝葉松説(誤字・誤認とか)に着目して、ケチをつけます。できるだけ瑣末なディテールに関して粘着的に書くのがコツです。褒めた方がいいのでは?と思うかもしれませんが、前述したようにそんな心にもないことを書いてもしかたがありません。これはインターネットの掲示板などを見るとたくさん例文があります。大半はまったく参考になりませんが、まれに上手な悪口が立派な芸だということがわかります。あまりうまい悪口が思い浮かばなかったとしても、「どこがどうとはいえないがいまいちだった」と書けば、これでも立派な感想文です。あなたの品格は下がるかもしれませんが、少なくとも課題は提出できますし、毒にも薬にもならない感想文よりは、よほど意味ありげに見えます。

だいたい以上です。あまりまとまっていませんが、参考になりましたか。ちょっと抽象的でわかりにくかったかもしれませんね。具体例が示せればいいのですが、私じしん本を読まないので示しようがありません。
最後になりましたが、賢明な小中高生のみなさんは、世の中にあふれるいいかげんな言説にまどわされることなく、ちゃんとした常識を身につけてください。そして社会に貢献できる立派な人になってください。さもないと、大人になってこんな恥ずかしいブログを更新するハメになりますよ。以上。