悲しみよちんこには
私は生存に適していないのではないだろうか―。
いきなり暗い話で申し訳ないが、そのような感覚を私は幼少の頃から抱いていた。私はこの世界との折り合いが極端に悪いというか、通常の人間ならもっていて然るべき自己と現実に関するバランス感覚というものを、決定的に持ち合わせていないのではないか。そういう思いに苛まれつづけてきたのである。
その理由は私とちんこの関係に象徴される。どういうことかというと、たとえば私はトイレでちんこを出すのとおしっこをする順序がわからなくなりパンツのなかでおしっこをしてしまうときがある。ちんこをしまうときはしまうときでちんこをしまうのとチャックをしめるのとどちらが先かわからなくなりちんこを思い切りチャックではさんでしまったことも一度や二度ではない。もっとひどいときは自分のちんこがどの位置にあったのかすら思い出せなくなることがあり、通常ちんこと呼ばれるものはたしかあの位置にあったはずだから「ちんこちんこ」とつぶやきながら顔面をまさぐるといやんばかんそこはメガネなのあん、と木久蔵師匠が叫ぶので木久蔵から座布団を二三枚奪い取った手のひらのリアルな感触は、いよいよ明瞭な確信となって私の神経を逆なではじめるのだ。おまけに私のちんこは私の意志を無視してひどく身勝手なふるまいをする。つねに自らのちんこのポジショニングに気を使わねばならぬのはオスの哺乳類の宿命であるとしても、私のちんこに限っては無節操かつ野放図きわまりない作法でもってわがブリィフ内部を逍遥し、右と言えば左、左といえば右に曲がるといった按配でいよいよ言うことをきかぬように思えるのだ。
話は変わるが、紳士用のズボンのポケットの中には通常のポケットの底に更に深い階層まで届く第二のポケットがついていることをご存知だろうか。実のところこれがちんこの位置を修正するために設けられた特殊の意匠なのだが、高級メーカーの紳士用ズボンにはたいてい用意されているはずだ(ついていないとしたらそれはバッタものである)。幸いなことに私はふだん高級メーカーのものしか着用しない主義なので、外出先であれちんこを修正する機会はほぼつねに確保されているといえる。いかなる奇妙な角度に曲がっていようとも人知れずちんこを修正することが可能なわけだ。しかしながら先述のとおりわがちんこは人並みはずれて天邪鬼である。たとえばエレベーターでご婦人と乗り合わせたとき、電車内で女子高生の集団に包囲されたとき、荷物を両手に抱えて自由がきかないときなど、ちんこの修正が憚られたり困難だったりするような状況のときに限ってわがちんこは情けないポジションにゆるゆると移動し、私に対して無言の嫌がらせをしているように思うのである。そんなとき私は自分の無力さに打ちのめされながら、ただその生き地獄のような刻が通り過ぎるのをじっと耐え忍ぶほかない。このように私とちんこの関係はつねに悲しくすれ違いつづけてきたのであり、それらが私の過去と精神に暗い影を落としてきたのは疑いようがない。
さらに恐ろしいことに、自分のちんこを自分のものとは思えないことすらある。たとえばちんこの位置を修正しようとそれを捉えた瞬間、まるで他人のちんこをつかんでいるような感覚に襲われる。そのままちんことおぼしきものの位置を修正し終え、あらためておのれのちんこの状態を確認すると、まだ奇妙にねじれたままということがあるのだ。つまりちんこの位置を修正したつもりでもそのちんこは自分のちんことは限らず実は他人のちんこかもしれないという猜疑が常につきまとうのであり、その証拠にこのあいだ私が電車のなかでちんこの位置の修正をこころみた刹那、明らかに自分のものではない違和感が指先をはしると同時に、隣席で眠りこけていた見知らぬ親爺が飛び起きて、不審そうにジロリと私を睨んだのだ!
ここに至って私はひとつの恐ろしい結論に到達せざるを得ないのである。つまり何らかの原因(恐らく私の精神の落ち込み具合やちんこのねじれ加減といった条件)によって、私のブリィフ内部の時空に歪みが発生し、位相の異なる時空と連結してしまうのではなかろうか。それが見ず知らずの他人のブリィフ内部につながっているのだとしたら・・・。もちろん推測の域を出ないわけだが、こう考えれば先の現象はすべて論理的に説明できる。妄想だと仰るか。ちんこが異次元に迷い込むなんてバカバカしい話は聞いた事がない。かわいそうな狂人の妄想だと。離人症的な感覚もここまでくるともはや末期的だと。さよう、確かにこれは当の私にすら容易には認めがたい考えである。ならば私は私が狂っていないことを諸君に対して証明するまでだ。同情など要らない。私は諸君の分別を装った無分別にも、無分別を装った分別にももう飽きた。
だから、これだけはおぼえておいてほしい。諸君が人ごみのなかであるいは人気のない暗い夜道で、突如股間に異物感を覚えたとき、あるいは予告なしにちんこが奇妙な方向に移動するのを感じたとき、はたまた無自覚のうちにありえない位置にちんこが調整されている事実に気づいたとき。それは私だ。私からのメッセージなのだ。