見よ、これが「かわいそうな人」の末期症状だ!
前からなんとなく気づいてはいたが、どうやらおれは少女マンガの世界が大好きらしい。最近観ておもしろかった映画は少女マンガ原作のものが多かった。知識がないので完全に後追いだが、がぜん原作マンガに興味がでてきたので読んでみた。
『毎日が夏休み』(1989 日 大島弓子著)
60ページ程度の中篇。これを読むと映画がかなり忠実に原作をなぞっていることがわかる。「どうもどうも、いつもすいませんね」「紅子さん、映画代はもらっておきます」みたいな手書きの細かい台詞までコミカルに再現されている。映画版ではスギナの言動がいちいちおかしかったのだが、佐伯日菜子たんのテクニカルな棒読みは言うまでもないが、それらのイメージは原作の段階で既に完成されている。「最初にしちゃうまくいったですよ」なんてヘンな丁寧語まじりのたわいもない台詞に大島さんのセンスの良さを感じる。下書きのようなゆるい絵柄といい、力のぬけ具合が絶妙なのだな。それらを適切に補完しながら再構成したのがあの映画。すごい。で、映画も原作もラストは無理矢理なハッピーエンドにねじこまれる。個人的には微妙に絶望を感じてしまうのだけれど、んなアホなと思いつつも釣られてハッピーになれるところがいい。これこそ「少女マンガ」だ、ファンタジーだ。本当に毎日がこういう夏休みだったらいいんだけどね。この中篇集には表題作のほか、猫にまつわる妄想系エッセイマンガ2本が収録されている。ノミを擬人化しているのが笑った。
『blue』(1996 日 魚喃キリコ著)
「濃い海の上に広がる空や 制服や 幼い私達の一生懸命な不器用さや
あの頃のそれ等が もし色を持っていたとしたら
それはとても深い青色だったと思う。」
ジャケットとタイトルが秀逸だし、コマ間からにじみでる詩情というのも見事だ。でも内容はあまりおっさんとかが読むようなものではない。思春期の心情をリアルに綴ってあるのでちょっと恥ずかしかった。アニメならもっと恥ずかしくなるだろう。人間を等身大で描いているものは基本的にきもちわるいし恥ずかしいのだ。コマ割りとか少々わかりにくいが、独特の暗い絵柄が重いテーマにふさわしい。どちらかというと映画版よりも重苦しく閉鎖的な印象である。映画はかなり大幅にアレンジされていて、ラストシーンの突き抜けた感じが抜群だった。あの脚本を引き出した人が偉いと思う。ほんとにいい映画だ。どうでもいいが「なななんきりこ」ってすごい名前。
『NAGISA』(1983〜1990 日 村上もとか著)
女みたいな名前だが村上もとか氏は男性である。映画版はこの8話の連作の設定だけ借りて、第1話を中心にほぼ別の物語に脚色したもの。正直なところ映画の方がだんぜんいい。マンガの方は主人公がませていて、どの話も死の影が濃厚にへばりついている。というか最後に必ず誰かが死ぬというじつにわかりやすいオチがあり、切ないというよりも虚しくなった。というかこのジャケはヤメテくださいよー。そういうのは求めてませんってばー(←必死)。
というわけで必然的に映画との比較になってしまい、刷り込みの原理のせいか総じて映画の方がいいと思ったが、原作もまた思春期のノスタルジックな暗さを内包しつつ確固たる世界観があり、それぞれ素晴らしいと思う。あとマンガはすぐに読み終わるのでありがたい。
結論。嗚呼、もっと少女マンガが読みたい!