尼僧白書
「尼僧白書(LA MONACE DEL PECCATO)」(1986 伊 ダリオ・ドナッティ=ジョー・ダマト監督)90分
ヨカッタ 泉シゲピヨ
先日、曾々孫(四十歳)にセガマレ、レンタルビデヲショップなる店舗内を探索せし折、偶然この映画の題名がハタとマナコに飛び込んで参りました。尼僧白書――。何と云ふ淫靡かつ蠱惑的なタイトルで御座ゐましょうか。カトリック教会が現世欲の抑圧から生ずるところの歪みを内包し、荘厳さの裏側にサディズムとマゾヒズムの暗黒史を秘めてきた事実は夙に知られるところで御座ゐますが、なかんずく女人のみの住まう修道院という秘密の花園を舞台とした本作が醸し出す淫蕩の香の予感に、ただならぬトキメキを覚ゑたので御座ゐます。そして嗚呼、神よ、そこは予想を裏切らぬ変態の巣窟で御座ゐました。実父に辱められムリヤリ修道院に押し込まれたヒロインはレズビアンの院長にしつこく誘惑され、修道院内部の醜い嫉妬と陰謀に巻き込まれた挙句、ソレハソレハ気の毒な運命を辿るので御座ゐます。しかもしかも、修道女が全員フンドシのような下着を着用しておるでは御座ゐまんか。コレこそまさにエロの本道、エロの神髄。エロースの女神は枯れ木のようなこの老爺にも嫣然と微笑み、イェロテシズムの慈雨を等しくお恵み下さるので御座ゐます。ナント有難いことで御座ゐましょう。そこへもって、オルガンやコーラスを多用したバロック調の教会音楽が全編鳴りっぱなしという趣向には、感激のあまり危うく失禁致すところで御座ゐました。それらは単に優美であるのみならず、一見不調和なエログロシーンとの対比により宗教の孕む本質的な腐敗性と人間の救いがたい愚かしさを鋭く抉り出してみせるので御座ゐます。微妙に凶悪な顔をしたヒロインは迫害される美少女という難役に無理なくはまり、そのツンドラぶり(使用法合っておりますでしょうか)にもソコハカトナク感じ入った次第で御座ゐます。
以上で御座ゐます。毎度毎度、同じような感想ばかりで恐縮に存じます。
サテ、既にお気づきかも知れませんが、このたびわたくし、ワケあって泉シゲピヨに改名することとなりました。いい年こいてナニヲしておるかとのご叱責はもとより覚悟の上で御座ゐますが、決してカワイイと言われようと必死になっておるわけでは御座ゐません。あくまで百四十年もダテに長生きしてきた己へのケジメとして決めたことで御座ゐます。ドウゾ、生まれ変わったシゲピョンを温かくお見守り戴きますとともに、今後ともご支援、誤指導のホド、宜敷くお願い申し上げる次第で御座ゐます。★★