全身小説家
「全身小説家(A DEDICATED LIFE)」(1994 日 原一男監督)137分
井上光晴というぜんぜん知らない人のドキュメンタリー。金子光晴と勝手に勘違いしていたが、「最後のプロレタリア作家」だそうな。「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督だけあって、よくこんなマイナーで奇妙な人物に目をつけたものだと感心する。どのような意図で開始されたかも不明だし。井上光晴は主婦を相手に作文教室(井上光晴文学伝習所)を開いていて、なぜかやたらもてる。なぜもてるのかはわからない。しかもオバハンばかりに。そうこうするうちに、井上光晴がどうやら相当なウソつきであるらしいことが判明、いきおい真相を探る方向に進んでいくのだが、親族をはじめ、埴谷雄高や瀬戸内邪口調の証言でも井上光晴の虚言癖は自明のことになっている。嘘だらけの自作年譜もエピソードも、人生をドラマタイズする方便だった。人生を粉飾するのはヘタレの証拠であり、秘めた激情の証でもあるのだろう。撮影途中で井上光晴が闘病生活に入ったため、期せずして晩年を追う形になる。しかしご本人は比較的あっけらかんとしていて、へらず口は一向にやまず、悪あがきもするのだが、さほど悲愴さはない。全身小説家とは誰がつけたのか知らないがうまいタイトルだ。井上光晴さんはおくたばりになったが、「ウソつきみっちゃん」の称号は長く銘記されよう。★1/2
【付記】
伝習所の教え子の山下智恵子さんはこの映画が気に入らなかったらしく、こんな本が出版されている。
『野いばら咲け―井上光晴文学伝習所と私』(山下智恵子著)
戦後という時代を全力疾走で生き抜いた稀有な作家、井上光晴。井上が全身全霊を込めてその文学精神を継承しようと取り組んだのが「文学伝習所」だった。その生徒として身近に接し続けた著者が、映画『全身小説家』が描いた浅薄な井上光晴像を排し、生身の作家像を描く。