黒い美術館
『黒い美術館(Le Musée Noir)』(1947 仏 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ著/生田耕作訳)
マンディアルグの第一短編集。「サビーヌ」「満潮」は日本版に追録されたやや後年の作品で、残りが純粋なオリジナル。
「サビーヌ(Sabine)」△
(あらすじ)十八歳の孤独な少女サビーヌは、ホテルの一室《川獺の間》の浴槽で手首を切った。ことの経緯と流血の記憶が時系列をさかのぼって解説される。
(感想)このサディストめ。
「満潮(La Marée)」◎
「おちびちゃん」たいそう優しい調子で私はジュリーに向かって言った。「だいじな可愛い仔羊ちゃん、なにもわるさしないから。羊の好物の飴ん棒を食べさせてあげるからね。」
(あらすじ)十六歳の従妹のジュリーと私は連れ立って海に囲まれた岩山にやってきた。実験と称して私は従順な少女の口に×××を×××み、潮の干満に関する講釈をぶちながら《満潮》の瞬間を迎える。
(感想)エロすぎ。潮の動きとシンクロするクライマックスが変態マンディアルグの面目躍如。間違っても電車のなかで読んではいけない(わたくしは間違えました)。どうでもいいが満潮の時刻が途中で変わるのは作者のミスか。
「仔羊の血(Le Sang de l'agneau)」◎
兎を両腕に抱きしめるのは、毛皮の筒に包んだゴム製の湯たんぽみたいにそれが胸にあたるのを感じるのは心地よかった。兎がおとなしく匂いを嗅ぎまくるいっぽう、彼女のほうはその絶え間なく動く、つやつやした鼻先に接吻するのだった。いちばん楽しいのは、それをしっかり抱きしめて駆け出すことだった。・・・じたばたする兎に後脚で乱暴に蹴りつけられる快さを味わうためである。その足蹴は彼女の小さな両乳房を、期待どおりの戦慄でゆさぶり、その感覚は彼女の全身に行きわたり、そこから彼女は新たなちからを汲み取るのだった。
・・・いっしょに土の上を転げ回り、生き物の頭を自分の顔の位置に、ついそばまで近づけ、長いことその目をのぞきこむのが好きだった、そして互いに催眠術にかかりでもしたように、どちらも身をこわばらせてしまうのだった。ときには、さらに近づけることもあった。つまり髭の生えた華車な二つの裂片にわかれた鼻面に唇が触れるまで。
いまでは麝香の匂いと、べとついた毛のいやらしい肌ざわりに、この下のほうで虫がもぞもぞする感じがさらに一枚加わり、彼女はすっかり取り乱し、自分のからだの中心部でうごめく暖かい羊毛の上にこらえきれず尿を洩らしてしまうのだった。
(あらすじ)十四歳のマルスリーヌは兎のスウシーだけを溺愛する陰気な少女。見かねた両親は始末した兎を「仔羊のシチュー」と偽って夕食に出し、実はソレはおまえのウサギなんだと笑いながら告げるが、マルスリーヌは黙々とシチューを平らげる。その夜、家を脱け出したマルスリーヌは、近所のキャバレー《鹿の角》で踊る黒んぼの屠殺屋に連れ去られる。鳴きわめく羊の群れのなかでの法悦の果てに少女が見たものは・・・。
(感想)戯れる兎と少女の鮮烈なエロティシズム。めえめえ軍団のなかで繰り広げられる凄惨な血の儀式。この一篇のために本書を買っても損はないと思われる。
「ポムレー路地(Le Passage Pommeraye)」△
もはや私のうちには期待も、恐怖も、迷いすらもなく、ただおびただしい無気力と涯しないやすらぎの感覚があるだけだった。「自分の番が来たのだ。」
(あらすじ)ポムレー路地のあたりをうろうろしていたら、見たことのあるようなないような美女が現れ、《針土竜》と私に告げた。私はふらふらと女の後をついていくが、途中でどうでもよくなった。迷い込んだ部屋のなかで豚と猫の合体した化け物を目撃した私は、ウロコ女に命じられるまま手術台に向かう。
(感想)なし。
「ビアズレーの墓(Le Tombeau d'Aubrey Beardsley)」×
(あらすじ)黒人テノール歌手のオペラを観劇した数日後、私はプチ=コロンブ邸で催される晩餐会に誘われる。そこでは奇妙な空中客間に巨大女と矮小男が集まっていて、人間の髪の毛の料理を食わされた。ふとしたことからプチ=コロンブ夫人が激怒し、大女と矮人の間で戦争が勃発する。大女が勝利を収め、私はすんでのところで逃げ出したが、三日後、なぜか屋敷は焼け落ちた。
(感想)読みにくい。くだくだしい説明的な描写が退屈。ただでさえ活字はめんどくさいので読み飛ばしたくなった。
【総評】
誰も指摘しないので僭越ながら指摘させていただきたいのは、マンディアルグという名前の響きのいやらしさである。世の中にはドチョロマンスキーやオフチンニコフなどといったショッキングな珍名が存在するが、マンディアルグもまたそれらに劣らずいかがわしい、いや、明らかにど変態のそれであろう。★1/2