貧民・区・LOVE
「賽銭箱に百円玉投げたら釣り銭出てくる人生がいい」と歌ったのは永淵ツヨシである。貧乏人の心理を巧みにとらえた歌詞である。
わたくしは金持ちが嫌いだ。金持ちをみると虫酸が走る。幼少時、教育上好ましくないからという理由でひどく制限された環境で育てられた。おこづかいをもらえなかったのだ。テレビもNHK以外観させてもらえなかった。わたくしの性格がゆがんでしまった原因は、このしみったれた環境のせいである。だからのびのび育った金持ちどもが嫌いだ。いつかぜったいイヤな目に遭わせてやる。
その反動で、貧乏人やぼろい家には目がない。見ているとなぜか心が安らぐ。社会の掃き溜めのような貧民窟のような場所にわざと迷い込むのが好きだ。ただし完全な貧乏や完全な廃屋(鬱になるので不可)ではない、廃れつつある微妙な場所。偽装された幸福の裏側に隠し切れないポバティがにじみでている場所。もうちょっとがんばったらなんとかなるかもしれないが、もしくはがんばってもなんともならないかもしれないですね、みたいな場所。生ゴミと大小便とケダモノの混じったような臭気が漂う、ドメスティック・ヴァイオレンスの予感を孕んだ異空間。犬のウンコで結界が張られ、腹をすかせた猫がしつこく足の匂いを嗅ぎに来る、そんな場所。などというとさもわたくしがおまえたちにピンコ勃ちしているかのごとく思われるかもしれないが、そうではない。いわば高度に趣味的な、華麗なるフェチズムであることを強調しておきたい。
その証拠に、ボロ家を愛好する人にならわかってもらえると思うが、そのような場所では郷愁と嫌悪感の入り混じっためまいに襲われる。たとえばトイレでウ○コをしているとき隣の個室に誰かが入ると、奇妙な安堵と同時にウンコ仲間だと思われたくないという意識がせめぎあうのに似ている気がする。懐かしさの原因は、おそらく前述のすりこまれた忌まわしい金銭感覚ゆえ。そして嫌悪感の原因は貧困の裏側でいきづく人々の負の連帯感ゆえ。それはわたくしが生まれ育った田舎町の、運命共同体という名のもとに強制された抑圧のシステムをわたくしに連想させる。わたくしにとって過去とは、記憶とはつねに忌避すべきものであった。ふりほどいてもボロキレのようにまとわりつき、幽霊のようにしなだれかかる厄介な代物。わたくしがいままで犯罪者にならなかったのはこの記憶のせいだとも言える。わたくしから正常な人生観を奪った地域社会をわたくしは憎悪する。だからわたくしは決心したのだ。犯罪者にならないかわりに、社会にもいっさい貢献しないと。いいや、誰がおまえたちなんかに貢献するものか。
今日も町を歩いていると、ねんどのような沈黙に混じってかすかに聴こえる罵声と悲鳴。饐えた生活臭と平手打ちの音が奏でる貧困のシンフォニー。郷愁と嫌悪のアンビヴァレンツに心は引き裂かれ。