ストーリーテリング
「ストーリーテリング(STORYTELLING)」(2001 米 トッド・ソロンズ監督)87分
<フィクション>
「彼女に会うと彼は普通に歩けるように思えた。両脚は揺れず、両腕も震えずに。もう変人(freak)じゃない。彼女が彼の苦悩を忘れさせたのだ。さらば脳性小児マヒ。今日からCP(Cerebral Palsy)の意味は、知的な人間(Cerebral Person)だ。」
<ノンフィクション>
「なぜ分からないんだ?私はいい大学生活を送りいい会社に就職、いい妻にいい子供。なのになぜ君は大学を悪者にする?悪い体験でもしたのか?気の毒だな。乗り越えろ!自分の過去から人に触れ回るな、人生はミジメなものと。君は悲惨か、なら泣け!」
例によってソロンズのおっさんは滑稽と悲惨が反転しあうきわどい瞬間をみせて、観客を意図的にいたたまれない気分に陥れることを目的としている。映画はお気楽な娯楽でもなければ高尚なお芸術でもない、おまえたちのアスホールそのものであり、合わせ鏡になった自己認識の無限反射の渦中に観客を置かずにはおかないというアナリスティク(肛門主義)なまなざしを病的なシニシズムと見るか、冷徹な優しさと見るかで否定的にも肯定的にも捉えられる。で、わたくし個人的には今回はおっさんの優しさを感じました。ハゲに向かってはげてませんよと嘘をつくのが優しさならば、はげてますよとあえて指摘してあげるのもまた優しさ。はげても大丈夫とはげますのが優しさならば、ハゲルナと命令するのも、もっとハゲロと呪うのもまた優しさではなかろうか。どちらにしてもゆがんでいるのは間違いないが。せめて諸君の心がハレルヤでありますように!★