箸が転んでも死にたい年頃
猛暑の砌、皆様におかれましてはブヒブヒと健やかにお暮らしのことと拝察いたします。この夏は皆さんもやっぱりドイナ●に帰ったり海や川へおぼれに行ったりされたんですか。そんな話聞きたくもないです。
しかしオボンというのは奇妙な風習ですね。なんでも死人が帰ってくる期間だとかで、死人の帰還に備えて仏壇やお墓を掃除したり、一家眷属そろって田舎でボンヤリ待機したりするのだそうです。そもそもオボンというのはサンスクリットの盂蘭盆が転じたものです。意味は知りません。古代インド仏教の風習とヴードゥーの土俗信仰が混じって現在のような形態になったと言われています。ウィキペデヤーというインターネットサイトで調べたのであまり信用できませんが。確かなのは、”C'est bon”や”ヤン・デ・ボン”とは何の関係もないであろうということだけです。
さて、熱心な仏教徒(Buddhist)であらせられる皆さんはオボンは当然休みをとってスタコラ帰省されたのでしょうが、熱心な異教徒(Pagan)であるところのわたくしは普通に無視しておりました。この間、交通機関が異常にガラ空きなのはよかったですね。いつもだったら身動きとれないほどこじきが異臭する電車のなかも快適でしたし、おまけに仕事も超ひまでした。これだったら年中オボンでもいいなあ。
ところで、ひとつみなさんにお詫びしなければならないことがあります。わたくしはこれまで皆さんのことを通行を妨げるなんだか意味不明な臭いものとしか思っていなかったのですが、最近は本当に存在じたいがどうでもよくなってきました。つまり石ころ帽子をかぶったノビタみたいなもんで、皆さんの存在がまったく眼中に入らなくなってきたのである。このぶんだといつか余裕で皆さんをホームから突き落としたりできそうな気がして怖いです。これは病気が治りつつある兆候か、もしくは末期状態に入った証拠かもしれませんね。というか邪魔なんでどいてください。
あと、もう一つ謝りたいのだが、貧乏人を観察していて笑えるのは、順番を守れないこと。アナウンスの人が「貧乏人は順序よく並び、隣の人と殺し合ったりせず仲良く手をつないで待つナリよ」とアナウンスしているのに貧乏人たちは聞き入れようとしません。はげちょろけのテェーシャツを着たこじきたちはぼろぼろの紙袋やケータイを嬉しそうに振り回しては超ゴキゲンのようすです。感心するのは、どんな貧乏人でも携帯電話だけは後生大事にしっかり持ってるんですね。基本料金とかけっこう高いのに(笑)。わたくしなんてほとんど使わないのに年間5万円近くNT○に寄附しているが、これは慈善事業の一環です。
人類へ告ぐ、今夏もわたくしの呪いを受けよ!
心のアルマゲドンはなおも続く。