聖獣学園
「聖獣学園(School of the Holy Beast)」(1974 日 鈴木則文監督・原作)91分
「お前には、神は来ない。心を預けただけで、罪の意識が淡雪のように消えていくお前に、神が現れるはずはない。救うために神が現れたことが、人間の歴史に一度でもあったか?なぜ待たぬ。お前を罰するために現れる神をなぜ待たぬ!」
映画はロマン(ポルノ)だコノヤロー! というわけで70年代エログロ特集第三弾は、みんな大好き修道院エロスの傑作「聖獣学園」の登場です。18年前の母の死の真相を突き止めるため修道院に潜り込んだヒロインが、戒律に縛られた修道院の裏側の異常な実態を暴くうちに、自らの呪われた宿命を知ることに・・・。特筆すべきはこれがデビュー作となる多岐川裕美。顔面を汗でテカらせながら台詞を棒読みする多岐川裕美の卓越したエロ美しさ、とりわけ薔薇の蔦で緊縛・迫害されながら無表情で虚空を凝視するシーンは息を呑むばかりの陰惨美で、思わず手にした一物を取り落としそうになります。また、別の修道女が衆人環視のなか堪えきれず漏らした小便の奔流にキリスト像が呑まれる(壮麗なコーラスつき)など心癒される愉快なシーンもあり、マニアにはこたえられない作品になっております。エロ司祭役の渡辺文雄がいいですね。儀式と称して修道女を姦淫しまくり赦せ罰せとわけのわからぬ説教で楽しませてくれます。ところで、修道院映画で繰り返されるこのような陰惨な描写は必ずしも実態に即しておらず、修道院=エログロの巣窟という偏見を助長しかねないと危惧される方がおられるかもしれませんが、もちろん極端であるからこそ戯画たりえているのです。歴史を紐解けば明らかですが、宗教とは神と人類のSMプレイに他なりません。禁欲と破戒の快楽(オシッコを我慢する快感と我慢したオシッコを放出する快感)が伴えばこそ信仰は成立するわけで、それを象徴的に描いたのが例の放尿踏み絵シーンと言えるでしょう。神の愛と罰は同義であるがゆえに禁忌を侵し神に罰せられたいというマゾ願望をひた隠し、オツム同様硬直した一物を信者が握りしめているという構図を本作は痛烈に炙り出しているのです。オマエラには一片の希望も残さないぞ!という鈴木監督の心の叫びが聞こえてきそうですね(笑)。今宵、皆様もめいめいの一物を片手に、聖堂に鳴り響く拷問の音とアダージョの暗い調べに鬱々と酔いしれてみてはいかがでしょうか。あ、おしゃれ猿のみんなにはちょっと難しいかもね(笑)。