人生に相渉るとは何の謂ぞ(笑)
わたくしがウェッブの閲覧に使用しているインターネットブラウザには「うんこ」と名づけられたお気に入りフォルダがあります。
文字通りうんこ関連のお気に入りページを集めたフォルダで、そこにしょくんらのブログへのショートカットも保存されています。なぜ「うんこ」なのかと言うと理由は明白、しょくんはブログでひとしきりわけのわからない寝言やうんこみたいなギバリッシュを垂れ流すのが得意だからです。世界に情報発信しようと意気込んで開設したはずのブログも日々の惰性に流されてやがてどうでもいい近況報告やみじめな自慢、愚痴とヒステリックな感情の垂れ流しに成り下がる。さらに既存の言説をリサイクルした要領を得ないご高説や絶望的に貧しい言葉を駆使した絶望的に貧しい思考を自身の糞ブログで披露するだけでは飽き足らず、わざわざ気に食わない他人のブログに出張してうんこ同然の寝言を書き逃げしたり、パソコンの前で何を真剣な顔してるのかと思えば本日のエロ動画の選択に懊悩中だったりする有様です。
ことほどさようにわれわれは、糞の役にもたたない自己満足で一生を終えます。もしもしょくんが自分のブログを少しでも世の中の役に立つなどと思っているなら大いなる勘違いだといわざるをえません。たとえば評論家と呼ばれる連中の得意満面の豚面から放たれる論理や統計のマジックも根本はけっきょく同じ、大衆操作としての広告、つまり世論を都合のいい方向に誘導するための方便に過ぎません。評論家が自分に都合のよい論理をさも真実であるかのごとく語るペテン師だとすると、諸君はそのペテンに巧みに便乗し、風向きが変わればいとも簡単に変節する風見鶏と言えます。そのような変わり身の早さと節操のなさは処世術や適応力とも呼ばれます。その意味でしょくんは非常に優秀な風見鶏です。都合のよい価値観を押し付けるのに年齢や性差は関係ありません。彼らは互いに搾取し寄生しあう関係でありながらそっぽを向いて罵りあうのが好きです。常に優位を示さないと不安でしかたがない小心翼翼とした凡庸さ、長いものに巻かれてこびへつらううざさ、あらゆる観点から言ってしょくんは地べたにはいつくばるのがふさわしい存在だといえます。要するにしょくんは徹底して俗物なのである。
ならば、そういうオマエはいったい何様か、という反論が当然返ってくることでしょう。一言で申し上げますと、わたくしは異常者です。粘着的にうんこを観察し、ネチネチと呪詛をならべたてるのが趣味の異常者です。インターネットの意義や方向性に関する問題提起も建設的なうざい提言をするつもりもありません。わたくしみたいな異常人格者は単純にうんこを観察するのが趣味なのです。しかしながらしょくんのブログがうんこであるという事実を指摘し認識しおおせたところで何の意味もありません。むしろわたくしにはそのようなしょくんの姿が却って愛おしく思える。だからわたくしはしょくんに対してできるだけ親切にしてあげたいと思っています。わたくしがオカマを装ってまでこの悲惨なブログを続けている理由はそこなのです。
そんなわけで、本ブログは《親切》をモットーとしています。親切はわたくしの特技。どんなキショイ人のオシリにも手をまわし、握手の代わりにちんこを握る、そういった過剰なフレンドリーさを心がけております。
と、わたくしの右のきんたまがこのように申しております。