エル・トポ
「モグラは穴を掘って太陽を探している。時に地上へたどり着くが、太陽を見たとたん目は光を失う」
「エル・トポ(EL TOPO)」(1969 墨 アレハンドロ・ホドロフスキー監督)
いやあ、やはり最後に主人公が死ぬ映画はいいですね! ひさしぶりに観たら、頭を丸めてフンドシしめて思わず出家したくなりました。導入部とラストの奇跡的な美しさ。喪失と再生の血みどろマンダラ。ここはひとつ某映画系サイトにスカした感想でも書いてイヤがられようかしらと血迷ってしまうほどです。厳粛ぶりっこちゃんが大喜びで《隠喩》や《象徴》を嗅ぎ出し解釈ごっこにうつつを抜かすのもわかる気がしますね。
さて、ホドロフスキーは「エル・トポ」を人生修行の物語に譬えているが、修行者とは俗物そのものの姿。堕落することが解脱への道と錯覚しているオリコウサンであり、勝ち誇って「一抜けた」といいたいだけのハリボテの信仰ナルシス。すがりついた幻想はおのれの袈裟のひきずった裾。凡俗の体現者であるエル・トポがおのれの限界を諭された瞬間、破壊者と瞑想者の関係は一転、贖罪の物語となる。モグラはせっせと穴を掘り続け、太陽に目を灼かれて失明する。盲目になって初めて自分が墓穴を掘っていたことに気づく。人間もまた一生かけて墓穴を掘る。覚醒の象徴として現れるピラミッドアイの盲目ぶり。信仰という名の思考停止。エル・トポ(モグラ)は聖と俗を越境しようとして最後に地獄を見た。越境したが最後、パンツを脱いで奇声を上げて走り回るしかない。かくして聖俗いずれの歩み寄りも徒労に帰した後、その墓碑にはささやかな希望が宿る。実に泣けるラストだ。ホドロフスキーみずから丹念に叩き殺した150匹のウサギの霊も浮かばれるというものだろう。カルトカルトとうるさいが、一篇の美しい異形詩の前にカルトもくそもない。盲目である事実に気づくだけだ。