笑の大学
「申し訳ないね。とってつけたような世間話しかできなくて。」
「笑の大学(WARAI NO DAIGAKU)」(2004 日 星護監督)121分
個人的には内容がどうのよりも、検閲という制度にいたく共感をおぼえた。私も検閲官同様、「お笑い野郎」には冷や水をぶっかける主義なので、検閲官に感情移入しまくりだった。それはともかく、これは論理的に正しい映画である。よく言われるように日本の娯楽文化、とりわけお笑い文化は仏教思想と深く関与しており、読経芸や説法芸を披露して小銭をもらう《乞食-被乞食》の伝統がその底流にある。これを娯楽にあてはめてみると、「泣ける/笑える娯楽」を提供する乞食の集団がまず存在し、そこへどこからか噂を聞きつけてワラワラと湧いてでた乞食が群がる。そしてそれをさらに高い位置から批評家づらで眺める第3の乞食。このように娯楽文化は、卑屈芸から無芸芸、傲慢芸までが三つ巴となった力学的均衡(いわゆる乞食トライアングル)によって成立しているが、もちろん媚びる側と媚びられる側の関係は容易に逆転するのであって、いつこの図式の構成が変化しても不思議はない。たとえば布施と称して金銭をまきあげる葬式仏教は本来の《乞食-被乞食》関係が倒錯し形骸化したものに他ならない。本作はこのような娯楽文化の背後にある乞食が乞食を返り討ちにする構造、すなわち《コジキ−コジカレ》のダイナミズムをあえて笑えないコントの形で提示し、我々がいかにあさましい乞食であるかを認識させつつ、その関係のいずれが失われても文化として停滞することを論理的に解き明かしていく。理屈っぽさゆえに主旨は明快、抑制の効いた語り口は口あたりがよすぎて物足りないものの、その人畜無害ぶりは洗練と呼べるレベルである。もしこの内容で10分程度にまとめてあれば星2つは固かったであろう。★