カプリコン1?
映画とか漫画とかゲームとかネットとか、あんまりふわふわした現実感のない世界に浸っていると、どこまでが現実で虚構なのかわからなくなる、というのはマスコミの常套句だ。まさかと思うが、そういう「アブナイ人」が取り返しのつかないことをしたという話は後を絶たない。俺も心当たりがなくもないのでなんとなく不安になり、さっそく<現実>を確認してみることにした。だが、肝心の<現実>とは一体何なのか。よくわからないので、とりあえずインターネットでニュースを検索しまくる。で、いろいろ出てくる。政治、社会、犯罪、自然災害、スポーツ、芸能・・・。ふむふむ、なるほど。これが現実か。現実というものなのか。現実ではこういうことが起こっているのだな。だが、待てよ。ネット越しの情報はしょせん擬似現実に過ぎない。メディアのフィルタを通して覗いた世界は手ごたえのある現実とは言えない。情報操作の可能性は常にある。仕組まれた現実かもしれないからである。これらが世界の「やらせ」でないという保証がどこにあるだろうか。で、ますます不安が募り、さらに調べる。もちろんインターネットで。「現実と虚構を区別する方法」。ヒットしない。「現実と空想を区別する方法」。これまたヒットしない。現実と虚構の区別がつかなくなった人の事例はいっぱい出てくるが、両者の違いを区別する方法がまったくわからないのである。どうやら、現実と虚構を区別する確実な方法はないらしい、ということが判明した。そもそも現実と虚構を区別する方法を確認するにも、ネットという擬似現実に頼らざるを得ないというのは自己矛盾ではないか。しかし、だからといって、直接に経験した事柄が現実であるとも限らない。本人の妄想でないという保証はないからである。なにしろ人間は都合の悪い現実は脳内で都合よく補完する「前向き」な種族だ。こちらからアクションを起こしてリアクションのある方が現実、なんて定義では到底とらえきれない。その仮定自体が虚構の枠組みのなかに捉えられているのだからどうしようもない。そう、そもそも現実とはそういうものだ。よくできてますねえ。スパイラルです。マウス・オブ・マッドネスですよ。所詮おまえらはメディアという神の掌のうえ。あきらめろとそいつは笑っている。メディアの申し子たる我々の宿命は堕ちた道を狂いきる以外にないのである。