いつものやつ
言葉につまって沈黙することを「絶句する」と言いますが、私は日常的に絶句します。というかごく簡単な単語がでてこなかったりするので、たまに失語症かもしれないと思うこともあります。
このあいだうどん屋で素うどんを注文しようとして、「素うどん」という言葉が出てこなかったときはさすがに自分の頭を疑いました。おばあさんが注文をとりにきたのですが、店員さんの前で絶句するというのはなかなか恥ずかしいものです。適当な言葉を思いつかないとき「アレを、アレして」などと代名詞を連発する人がいますが、紳士で通っている私がそんな恥ずかしい姿を人前でさらすわけにはいきません。しかたないので、とっさに私は「いつものやつ」と言ってしまいました。
もちろん常連なんかではありませんでしたが、こういう時は通ぶるのが自分の威厳をただす唯一の方法のような気がしたのです。おそらく意味が通じればラッキー、通じなければ相手のせいにできるという姑息な算段を無意識に行なったのだと思います。でも自信のなさがもろに出てしまい、小声になってしまいました。よく聞こえなかったのでしょう、「はい?」とおばあさんが訊き返しました。こういうときは取り乱すと却ってあやしまれます。震える声を抑えて、わざとらしく落ち着き払って答えました。
「いつものやつをお願いします」
すると、おばあさんの顔がなぜかギョッとこわばりました。心なしか、あとずさりしたような気もしました。そして明らかにお盆をもつ手がガクガクと震えはじめました。
「は、はい。ただいま……」
そう言い残すとおばあさんは逃げるように厨房へ戻りました。奥でヒソヒソと話し声が聞こえたかと思うと、瞬時に厨房の空気が凍りついたのがわかりました。いったい私が何をしたというのでしょう。「いつものやつ」で話が通じたことにも驚きましたが、それ以上になにかやってはいけないことをしてしまったのでしょうか。
その理由はまもなく判明しました。テーブルに備え置かれた汚いお品書きの隅っこに、きつねうどんやたぬきうどんに並んで、『いつものやつ』という品名が載っていたのです。まるで人目をはばかるかのような走り書きで、ためらいがちに二重線で消したあとがありました。やはり私はなにかとんでもないものを注文してしまったようです。
五分も経たないうちに『いつものやつ』が運ばれてきました。さっきのおばあさんは運んできたお皿を投げ出すように机に置いて、あわてて逃げていきました。
それは形容のしようがないものでした。うどんの「う」の字もみあたらず、どちらかと言うとうんこの「う」とでも言いたくなるような代物で、なんでしょう、無理やりたとえるならカレーライスのゲロに何本もの犬の足が刺さったようなおそろしく薄気味の悪いものでした。
気がつくと店中の視線が私にそそがれていました。客はまばらでしたが、みんなうどんをすすりこむ手をとめて、一様に恐怖の色を浮かべています。私がにらみつけるとそしらぬ顔で食事を続けるふりをしましたが、さりげなくちらちらとこちらを盗み見ています。私がどういう行動に出るのか、固唾をのんでみまもっているのです。私だけにいやな役目を押し付けて傍観するなんてひどい。
私は泣きたいような気持ちになりました。しかしここまで来て引き下がるわけにはいきません。山盛りに盛られた『いつものやつ』に割り箸をつっこみ、半分やけくそで、そのおぞましい物体を口にかきこみました。
で、これがなんとうまかったのです。いやほんと、びっくりしました。正直、犬の足(?)があんなにうまいとは思わなかった。ゲロのようなものも残さずきれいに浚えとってしまいました。ひどく気に入ったので、柱の陰に隠れていたおばあさんにもう一杯注文しようとしたら、おばあさんは泣き笑いのような表情を浮かべて、お代はけっこうですと逃げていきました。
私が食べたものは結局なんだったのか、いまだによくわかりません。そして、なぜ『いつものやつ』と呼ばれていたのかも。しばらくしてあのうどん屋に行ってみたら、つぶれていました。しかしそんなささいなことはもうどうでもいいのです。『いつものやつ』がうまかったのは事実であり、それに比べればすべて取るに足りないことです。いちど私は自力であの料理を再現しようとしましたが、みごとに失敗しました。おそらく一生かかってもあの味を再現するのは不可能のような気がします。まあいずれにせよ、やはり見た目でものごとを判断するのはよくないなあと思い知らされたのでした。
あと、ひまだからといってむりやり嘘を書くのもよくないなあと思いました。