たーへる・あなとみあ
ここだけの話ですが、私は美人が好きです。というか大好きです。こんなことを言うとあ、ワシのことだ。ワシは可愛いし美人だからおまえはワシが好きなのか、と思ったあなた。あなたは間違いなく「美人以外のなんか」ですから安心してくださいね。ではどういうのが美人なのかというと、これはなかなか難しい問題ですが、あえていうなら中味が美しい人だと私は思います。こんなことを言うとあ、そうそう人間は外見よりなかみだよね、ワシも心が美しいからおまえはワシが好きなのだなうふふ、と早とちりする人もいるでしょうが、以前から申し上げているとおり私はブサイクが嫌いです。心さえ美しければいいというものではありません。それに、そもそも人間の頭の中身というのは相場が決まっていて、どんな偉い人でも頭をパカッと開けたらアホとエロが大量に詰まっているだけで、あとはあるかなしかの知性が申しわけ程度に添えられているのが実情なのです。そんな低俗なものに私は興味がありません。心の美しい人こそ美人だという俗説は根拠のない妄言にすぎませんね。私が言う中味の美しい人というのはもっと即物的な意味で、有体にいえば内臓の美しい人です。腹を割って話したとき、その人の内臓がどれぐらい美しいかで私はその人を評価します。でも本当に開腹するとたいていの人はいやがりますので、その人がどのぐらい美しいかは実のところまったくわからないんですね。そんなわけで、見えない部分は仕方なく想像により補います。私ぐらいの上級の変態ともなれば、いろんなものの断面図を想像して興奮します。道を歩いているときも電車に乗っているときも、いろんなものをタテにヨコに自在にスライスし、サラミのように輪切りになった人体を頭のなかに思い描き歓喜するのです。それに飽きたらこんどは展開図。人体のいろんな場所に見えざる切れ目を入れて展開したり、ひねったり裏返したりして、カラフルな想像を楽しみます。私は小さい頃から猟奇心旺盛なこどもで、ひまさえあれば「家庭の医学」に掲載された巻頭カラー写真を食い入るように眺めていたものです。本当は学校の理科室に飾られている人体標本模型がほしくてほしくて仕方がなかったのですが、子供の私に買えるはずもなく、しかたがないので夏休みの宿題に精巧なミニチュアの人体模型を制作しました(その模型は「太郎くん」と名づけました)。いまだに三流でいいから医学部にでも進学していればよかったなあ、と思うこともしばしばです。いつかタイの死体博物館にも行ってみたいと思っています。今日も人ごみのなかで、人体の解剖図を思い描いて興奮する人は全国に数多くいると思います。杉田玄白先生を始祖とする日本の内臓愛好精神はいまも確実に受け継がれているのです。