Grand-Guignol K.K.K

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詩と真実

映画採点委員の皆様ご苦労さまです(笑)。みなさんがインタネッツで映画についていっしょうけんめい好き放題書き殴っているのを見ると感心してしまいます。私にはみなさんのように歯の浮くような上手な言葉もでてきませんし、どうでもいい作品を全力でこきおろすような気力もありません。みなさんはどうしてそんなに元気いっぱいなんですか?本当にうらやましく思います。ただですね、みなさんの涙ぐましい努力にもかかわらず、みなさんのぎょうさんな言葉はやがて水泡に帰す運命にあるんですよね。どんなにみなさんがあがいても、これは決定事項であり、もう変えられませんのであしからずご了承ください。
と、まわりくどいイヤミをぶちかましたところで今日のテーマ、<詩と真実>について。詩人と呼ばれる、ブタの次に位の高い人たちがいまして、もちろん私はブタが大好きなので褒めているわけですが、言うまでもなく詩人などというものは人生の敗残者であり死んでなんぼのものである、という事実は歴代の有名な詩人がのきなみ死んでいることからも明らかですね。ランボオしかり、アポリネールしかり、ロートレアモンしかり、ジム・モリソンしかり、萩原朔太郎しかり、石川啄木しかり、中原中也しかり、ドリアン助川しかり、三代目魚武(だっけ?)しかり。私は彼らのような自覚的な敗残者を尊敬しています。ところが困ったことに、生きている人間のくせに詩人であろうとする人がいるんですね。世の中には芸術や文学に対して異常にナイーヴな人がいて、詩をやたら高尚なものととらえたがっているというよりは、おのれが詩人をきどって高尚ぶりたがっているというタイプの方たちが腐るほどいます。まあ気持ちはわかりますし、それ自体は悪いことではありませんが、あまり格好のよいものではありません。というかはっきりいって馬鹿に見えるのでやめたほうがいいですね。やるなら死んでからやりましょう。生きている人間で詩人と呼べるのは数えるほどです。私は本当の生きた詩人を何匹か知っていますが、彼らに共通して言えることがあります。真の詩人は最後に下ネタにたどりつくのです。具体例を述べるのはさしひかえますが、これは疑いようのない真実です。少なくとも石川啄木さんはこれを否定できませんよね(笑)。
さてと。お前たちの小言を聴かなくても済むようにここらへんでそろそろ自閉させてもらいますよ。ゆやーんゆよーんゆやゆよん