Grand-Guignol K.K.K

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オマエも蝋人形にして野郎か?

そろそろ誰も話題にしなくなったようなので、最近いちばんどうでもよかったこの事件について。
18歳少女3カ月監禁 首輪と鎖で拘束「ご主人様と呼べ」

日夜エログロファンタジーを脳内で繰り広げるわたしども変態の立場から申し上げると、まことに「しょぼい」事件といわざるを得ません。なぜなら犯人の言動には妄想の視野狭窄とも言うべき発想の幼稚さ、想像力の乏しさしか感じられないからです。妄想とは、自己および対象の受苦と快楽、そしてそれがもたらす結果に至るまでを含めて、一切の演出をみずから引き受けることです。言い換えるならば、妄想とはその発端から結末まで(今回で言えば逮捕の瞬間まで含めて)を一貫して構築するべきトータル・イマジネーション・プレイであり、それゆえ自覚的な個人のみが享受しうる、高度に洗練された知的遊戯なのです。それが正しい妄想の作法であり、ひいては健全なるマッド・オナニストのあるべき姿であると考えます。「実行しなければわからない」ほどの貧弱な想像力でありながら、恐怖による支配という一方通行の貧しい空想世界に埋没し、妄想という高等玩具を振り回したこのちんぽ脳小児(卑怯な弁明により責任を回避しようとする子供じみた甘えの姿勢からも明らか)には思いも至らなかったことでしょうが。
ここでひとつ申し上げたいのは、このような問題が生じるたびに、理解不能の化け物としての犯人への人格攻撃、あるいは犯罪者に対する規制強化という側面のみが声高に論じられがちですが、犯罪者をボロクソにこき下ろすことで溜飲を下げる、もしくは「変態狩り」に短絡するといった低レベルな議論しか出てこないのは、我々自身の変態性に対する自覚の乏しさを証明しています。むしろ巷に流布した自動「解説」を軽薄にリピートすることにより物事の本質はさらに希薄化され、同じ危険を再生産する結果になりかねません。妄想を旨とする者にとっては半ば常識ですが、日常のあらゆる局面で飼育・被飼育関係は存在しますし、じっさい変態願望、鬼畜願望は誰にも潜んでいるのです。法律その他の抑止力がなければサディズムであれマゾヒズムであれインセストタブーであれ、常にその際どい実現の可能性を孕んでいるものであります。もちろんそのことによって犯罪が正当化されるわけではありません。妄想とはつねに自覚的に飼い慣らされるべき羊であり、我々はその羊飼いに他ならず、同時にその事実において我々もまた妄想に飼われているに過ぎない、という事実に思いを馳せるべきでしょう。柵を越えようとする羊には相応の刑罰が必要です。
悲しいことに、現実と虚構を切り離して考える二元論者や精神的アルツハイマー患者に、現実と虚構の区別がついていないのは私たちも同じなんですよ、といってもピンとこないかもしれません。確かに「現実と虚構の区別がつかなくなった」と言えば一応説明できたような気にはなれます。しかし、現実と虚構が相互に模倣し近似化するものである以上、誰もこれは現実だの虚構だのといちいち確認してはいないし、ということはどっちがどうであろうとどうでもいいのです。現実および虚構いずれに準拠しての問題の立て方も半ば水泡に帰しているのであり、善悪の判断ができなかったから善悪の判断ができなかったのだ、という自同律と大して違いはないわけです。むしろ現実も虚構も等しく信頼できないものであり、常に疑ってかかるべきものだという自明の認識にのっとれば、虚構世界にどっぷり漬かっていながらも、意識のどこかで醒めているべきであり、同じ論理によって虚構という名の現実もまた醒めていなければならないというのは火を見るよりも明らかなのです。

(追記)かと思えばまたしてもこんな事件が。世の中、本当に監禁ブームのようですね。
好きになれ、と女高生監禁20日間…露天商手伝い逮捕