Grand-Guignol K.K.K

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bitch692005-12-15


これはかんたん!ドライカレーの作り方。
カレールーの上にご飯をのせ、よくかき混ぜます。ドライカレーが出来上がります。

「A」(1998 日 森達也監督)135分
あれ、オウムってなにをやったんだっけ?と半分忘れかけていたのだが、このドキュメンタリーを観ることで、そんなことはさらにどうでもよくなってしまった。なにを隠そう、これは荒木広報部長に萌えるドキュメンタリーである。いかにも育ちがよさそうな、誠実かつ嫌味のない人柄でしかも可愛らしいルックスの荒木青年。その彼が批判の矢面に立って不祥事の後始末に奔走し、傷つき苦悩しながらも健気に世間の逆風に立ち向かいつづける。その勇ましい姿はまさに殉教者そのものである。これはもう萌えるしかあるまい(笑)。本作はそんな荒木部長を中心に、日本現代史の特異点であるオウム問題を舞台裏からまっすぐ捉えた貴重なドキュメンタリー。一般に物事の本質を「語る」のは難しい。語ったと思った瞬間、語ったやつの得意げなにやけ顔が残っているだけで本質はひらひらと宙へ逃げてしまう。我々の価値観はえてしてマスコミの周到な印象操作によってねじれがちであり、しかも傍観することを義務付けられた非当事者たる我々だからこそ、あえて何も語らずに淡々と事実を捉える作業が必要なのではなかろうか。確かにオウム信者が事物を見据える視座は我々が常識と呼ぶそれとはかけはなれているように見える。優秀な彼らは、恐ろしいことに論理や感情を超えた実感として教義が「理解」できてしまうのだ。しかし一歩引き下がって見るとそれは醜い部分も美しい部分もひっくるめて執着に満ちた小市民の実態そのものであり、ほかならぬ我々の人間的なありようのアナロジーであることに気づく。平和ボケの日本にオウムが呼び覚ました人類のスキャンダラスな側面、そしてその背後に見え隠れする日常という「なんでもなさ」が奇妙なめまいを伴って迫り、最終的にはオウムがひどく身近なものに感じられる。これは共感というよりもある種の自覚と呼ぶべきものだ。くそ真面目な顔でもっともらしい発言をするコメンテーターの精神構造がいやらしいからといって、うなずきながらそれを聞いているやつも同じ精神構造であると言っているやつの精神構造もまた同様にいやらしい、という意見に同調するやつの精神構造もまたいやらしい、そういう自覚なしに完結するにはもったいない。それほどオウムのエンタテインメント性は優れている。本編にはあまり登場しないが、麻原ショウコウ(漢字わすれた)の作詞作曲の才にはじつに驚くべきものがあるし、あと長女がゴールデンタイムにのさばるしょうもない女芸人よりよっぽど笑えることも付記しておこう(笑)。★1/2