光に向って100のはらわた
電車の座席に座ってあやとりをしていると、みるからにむさくるしい父子連れがキーとわめきながら立ち止まった。
父親が大ちゃんここに座ろうと言い、大ちゃんと呼ばれた子供は嬉しそうにわたしの向かいの窓側に席を陣取った。
汚い子供だった。わたしの経験から言って、大ちゃんという名前の子供はなぜかみな汚い。そもそも大ちゃんという発音のなかに少なからず汚らしい響きがある。よく考えると大ちゃんというのはウンコの異名であり、そんなものが綺麗なわけがないのだ。
大ちゃんはうま○棒をかじりながら盛んに電車の窓の外を指さし、あそこにライフが見えるという意味のことをわめきちらしている。父親が無反応なのが気にくわないのか、しつこくライフライフとはやし立てつづけた。うるさくてあやとりに集中できない。いいかげんにしてほしいなあ、と父親の方をちらと見ると、父親もわざわざ立ちあがって電車の窓の外にライフが見えることを確認し、あまつさえガキといっしょにライフライフと叫び始めたのである。
あのー、もしもし。お楽しみのところお邪魔して申し訳ありません。たいへん申し上げにくいのですが、ボロボロこぼれているんですがねわたしの膝に、ボーヤのにぎりしめたうま○棒のかすが。それからねボーヤ、電車の窓の外にライフが見えようが見えまいがお兄さんにとってはどうでもいいことなんだよ。なぜならライフがスーパーマーケットの名前で四つ葉のクローバーがトレードマークなのも知ってるし、おまけに何回も行ったことがあるからね。だからいちいち騒ぎ立てないでくれるかなボーヤ? わかるよね? もしあと一回でもライフと言ったらそのうま○棒をひったくって口にねじこ
「ライフや!」
こうしてわたしはガキのうま○棒をひったくり、人生の不条理を教えてやることに成功したのだった。