イノセンス
「イノセンス(GHOST IN THE SHELL 2 : INNOCENCE)」(2004 日 押井守監督)99分
「人形に魂を吹き込んで人間を模造しようなんて奴の気が知れんよ。真に美しい人形があるとすればそれは魂を持たない生身のことだ。崩壊の寸前に踏みとどまって爪先立ちを続ける死体。・・・人間はその姿や動きの優美さに、いや存在においても人形にかなわない。人間の認識能力の不完全さは、その現実の不完全さをもたらしそして、その種の完全さは意識を持たないか、無限の意識を備えるか、つまり人形あるいは神においてしか実現しない。・・・いや、人形や神に匹敵する存在がもうひとつだけ」
「動物か・・・」
「外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑。その逆に生命のない事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑。人形の不気味さがどこからくるのかと言えば、それは人形が人間の雛形であり、つまり人間自身に他ならないからだ。人間が簡単な仕掛けと物質に還元されてしまうのではないかという恐怖。つまり人間という現象は本来虚無に属しているのではないかという恐怖。・・・生命という現象を解き明かそうとした科学も、この恐怖の醸成に一役買うことになった。自然が計算可能だという信念は人間もまた単純な機械部品に還元されるという結論を導き出す。」
膨大な修辞や衒学で観衆を煙に巻く押井監督のスタイルはここに極まった感もあり、ひねくれた言葉遊びはさらに悪質を極めています。テーマらしきものもそこここにばらまかれますが、この映画の思弁的な部分はわが楽園を補強するオマケに過ぎない、といわんばかりに回収の意志がほとんど感じられません。しかしそんなことはどうでもよく、本作は半裸の少女人形のエロきもいアクションをはじめとして、ひたすら《人形》のきもちわるさを楽しむ映画になっています。「攻殻機動隊」で人形化への夢をほのめかされた押井監督は、この続編でとうとうみずからの過剰な人形愛を惜しげもなく告白されたと言えるでしょう。身体や精神の機能を拡張せんとする人類の飽くなき欲求はさまざまな技術を生み出し、肛門を義体化した渡哲也さん、アニマトロニクス技術により生存を偽装する宮澤喜一さんを例に挙げるまでもなく、物理的にも仮想的にも現実は虚構の側へと着実に近づきつつあるわけですが、それでもなお《生命》という根本的な問題は一切解決できないことをわたくしどもは知っています。即物的な生命観や出口のない議論から逃れるために存在するオカルトや論理装置も根っこは同じで、われわれの認識能力の限界を表明しているに過ぎません。そんな人間という不完全な存在が人形的なものの完全性に憧れを抱くのは当然というべきで、だからこそ少女や動物の形をした自動人形たちが楽しげに戯れる人工楽園をわたくしども変態は夢想するのです。一方、人形がしばしば愛情の対象であると同時に自己を映し出す不吉な鏡、すなわち恐怖の対象であることもわたくしどもは知っています。人形によって満たされたわたくしどもの楽園とは、生と死の両義性を備えたパラドキシカルな楽園に他ならず、これはとりもなおさずわたくしどもの生を以てしては充実しえない不完全なものであること、すなわち死を以てのみ完遂する楽園であることを意味します。身も心もオニンギョウと化し、永遠の思考停止に身をゆだねること、これこそが究極の快楽であり、人類の普遍的なイノセンスの体現であるといえるのではないでしょうか。★