銀河鉄道999
「銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)」(1979 日 りんたろう監督/松本零士原作/市川崑監修)129分
(あらすじ)
こじき少年・星野鉄郎は謎の畸形美女メーテルから銀河鉄道パスポートをただでもらい、メーテルとともに「ただで機械の体をくれる星」を目指すが、旅先で散々な目に遭う。「あわてるこ●きはなんとやら」「ただほど高いものはない」という教訓を少年は学ぶのであった。
(かんそう)
テレビシリーズ完結前に公開された劇場版。鉄郎の言動に論理的な矛盾が目立ち、説教くさいだけでまるで説得力がなかったテレビ版(1巻と最終巻しか見てないが)に対し、劇場版ではいくつかのエピソードを再構成することによって比較的まとまりのある物語に仕上げている。「脳だけは撃たんでくれ」とシブい声で命乞いをしてあっさり射殺された機械伯爵は映画版では生きており、こいつを殺すことが旅の目的のひとつとなっている。これに伴い鉄郎が機械化母星を目指す理由も明確化され(機械文明へのリベンジ)、「長生き」という動機の時点で破綻していたテレビ版に比べるとお話としてはよほど筋が通っている。また、テレビ版ではメーテルがわざとらしく鉄郎を放置して危険な目に遭わせる理由がよくわからず、どう見ても少年を騙して連れ回している頭のおかしい畸形のおばはんにしか見えなかったが、本作ではメーテルの分裂的な言動の理由や終始陰気な顔をしている理由も説明されるし、畸形化もわりと控えめである。さらに、テレビ版では犬死の感が否めなかった客室乗務員クレア(身を挺して哲郎を守ろうとするクリスタルガラスの裸の少女)のエピソードを最後に持ってきたことによって、最大の萌えキャラとも言うべきクレアの萌え効果を最大限に活かしている。このように本作は、テクノロジーとノスタルジーそしてエロスの奇妙な混在によって、機械化の夢と虚妄のパラドックスをめぐる少年の心の軌跡を描いた一種の教養小説とも言うべき秀作に仕上がっている。ただ個人的に好きになれないのはあのラスト。メーテルはこともあろうに「わたくしはあなたの思い出の中にだけいる女。わたくしはあなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」と鉄郎に告げて立ち去るのだが、蛇足とは言わぬまでも超暗い気分になるこの台詞とそれに続く陰鬱きわまるナレーション(今、万感の思いをこめて・・・云々)、そしてゴダイゴの軽快なエンディングテーマで虚しさがさらに倍増。日本屈指の鬱アニメと言えよう。★1/2