今日の童話
闇を吐くもの 1ねん1くみ ふなこしええいちろ
「大阪食い逃げ、京都行き倒れ」とはよく言ったもので、関西の名物といえばこじきに限る。夕闇の迫る通学路でハエタタキをもったジジイや角材をふりあげたオッサンに奇声をあげながら追われた思い出は、この土地に住む者ならば誰にでもあるだろう。ことほどさように、こじきはわれわれの身近な存在として日常に溶け込み、四季折々の移ろう景色に合わせて様々な風物詩をつむぎだすのである。夏の日のまばゆい陽光を浴びて輝くこじきの行水、冬の夜のゴミ置き場に影絵のように浮かびあがるこじきのシルエット。こじきという存在は、きわめてありふれた日常風景の一部なのであり、むしろ都市という生物が内包する不可欠の構成要素と呼ぶべきかもしれない。わたくしもそう思っていました。あの異常な光景を目にするまでは。
趣味の古書漁りのため、古い町家の立ち並ぶとある地区に足を踏み入れたときのことでした。わたくしは眼前に広がる光景の異様さに思わず息をのんだ。何百いや何千というこじきの群れが、街のあちらこちらに無言で突っ立って、一様に口をぽかんと開けたまま彼方を指差していたのです。こじきはまるで斎場の場所を指示する「○○家」という葬儀屋の掲示物のように、みな「Follow The Beggar's Sign」と書かれたダンボールの札を首からぶら下げていました。それが右を向いても左を向いても、等間隔に果てしなく連綿とつづいているのです。わたくしは異次元空間に迷い込んだかのような恐怖をおぼえながらも、押さえきれない好奇心の命じるままにこのこじきの道案内にしたがうことにした。
街中に突如出現したこじきの標識は、鏡地獄の多重構造にも似た幾何学的均衡とカオスを形成しており、美しくも恐ろしい精巧な迷宮(ラビリンス)といった様相を呈していました。このエリアに迷い込んだ者は、もはや生きて逃れることはできないのではないか。そう思うとわたくしの五糎(センチ)ほど皮の余ったちんこの先まで震えが来て止まらなくなりました。上空から眺めたらさぞかし壮観だろう。そこに隠されているのは天の啓示か、はたまた悪魔のたくらみか。。。
こじきの指示した道をたどると、やがて一軒のコギタナイ店にたどり着きました。看板には「喫茶 自滅倶楽部」という店名が気の滅入るような書体で書かれていました。店先に《イラッシャイマセ》とこれまた凶悪な字体で書かれた赤い幟が立っており、そのそばにはこんな手書きの貼紙がありました。
「30th Annual Convention of International Beggars Association」
《国際こじき協会》とでも訳すのでしょうか。いずれにせよそんな組織の名前は初耳でした。どんな国際色豊かなこじきがこの小さなお店に集結しているというのでしょうか。わたくしは好奇心を押さえきれず、「自滅倶楽部」の扉を開いたのです。
店に入ったとたん、わたくしは「くさっ!」と思いました。うすぐらい店内にたまねぎの腐ったような強烈な臭いがたちこめています。
BGMに流れている音楽に聞き覚えがありました。YUIという歌手の曲に似ていましたが、YVEという歌手が歌う「天使がくれたもの」という別の曲でした。
複数のブロックに仕切られた店内にはいくつかの展示用ブースが設けられ、見るからにこぎたない連中がひしめいていました。わたくしは見物して回ることにしました。
《健康》ブースでは、上下そろいのジャージーを着用した陽気なこじきが声を張り上げています。
「わたくしが開発したこの包茎矯正ベルトをごらんくだしあ。これを使えばどんな頑固な皮かむりもたちどころに解消、二本の輪ゴムをたばねて強化したベルトが包皮をやさしく補正し、ごく自然に亀頭を露出してくれるのです。ただいま特許申請中」
こじきは下半身むきだしで矯正ベルトの使い方を実演していました。わたくしは若干心を惹かれつつも別のブースへ移動しました。
《食品》ブースでは奇妙なものが売られていました。毛の生えたきんたまみたいな形の実(ライチではないようです)と、これを丹念に皮をむいて茹でてこねたものが試食用として山積みになっており、こじきが争ってもぐもぐと食べています。いかにも汚らしい食べ物で、おかしな匂いも漂っていました。わたくしには、うんこに似た何か、またはうんこそのものとしか思えませんでした。
近くで怒声があがりました。どうやらこじきどうしが試食品をとりあってけんかを始めたようです。
「あんた、食い方がきたないんだよ! もちゃもちゃ音たてやがって。はやくどっか行ってくれねえかなあ?」
「てめえこそペタペタ歩くんじゃねえよ、この変態スリッパやろう!」
ののしりあうこじきたちを眺めながら、わたくしは心底どうでもいいなあと思いました。
《科学》ブースを覗くと、「こじきの体温を利用した暖房システム」なるものが紹介されており、インテリ風のこじきが熱心に見入っていました。なんとこの喫茶店もこのシステムにより暖められているそうです。どうりで生暖かいきもちわるい空気が漂っていると思った。他にも「こじきのおじぎ力を利用した発電システム」といった不毛な発明が目をひきました。
《ハト》と書かれたブースでは、大量の鳩が首を前後に動かして右往左往していました。なんのことやらわけがわかりませんでした。
《詩人》と書かれたブースの前に行くと、頭にパンツをかぶった男が、《宇宙のエロス》とかなんとか、わけのわからないポエムもどきを朗読していました。これも心底どうでもいい感じのパフォーマンスでした。
ひときわおおぜいの観客を集めているブースがありました。
《神》と掲示されたそのブースでは、頭が尋常でなく大きい女こじきが、みずから「神」と名乗り、ヒステリックな調子で演説をまくしたてていました。しかしながら、こじきの頭部は提灯みたいなかぶりもので覆われているため、神秘的というよりもむしろ滑稽に映るのでした。
「人生とはウンコである。このシンプルな事実にどうして気づかないのでしょうか。人生において、わたくしを真に勃起せしむるほどの光景にはついぞ出くわさなかったのであり、それはあながちわたくしのイムポテンツァが原因とも限らないのです・・・
この世界を少しでもよくしたいと本気で思うのなら今すぐ人類はクビをつるべきだというのがわたくしの持論である。人間が活動するほど地球の資源を食い荒らすのだから絶望的です。いわば個人の利己的活動の集積を社会と総称しているに過ぎません。消費の抑制と促進のディレンマを装いながら、確実に腐敗していく人類の愚かさよ。ツゴウの悪い事実には目を伏せて前向きと称するいつわりのポジチブシンキンが蔓延し、おのれの恥部を凝視する勇気もないヘタレぞろい、それがこの国の実態です。暴く側も暴かれる側も避けがたくアホだという事実だけがいま浮き彫りになったのです」
こじきたちがいっせいに歓声を挙げます。
「ひとつ誤解しないでいただきたいのは、おまえたち個人の意見はことごとく無視されるということです。なぜなら、おまえたち一匹一匹の意見を理解するのはとてつもなくめんどくさいからです。わたくしが理想とする社会のあり方は《対話の拒否》であり《コミュニケーションの断絶》である」
「きこうでんびちこ」と名乗る女こじきの言葉の端々には人類への憎悪と絶望、そしてみんな死ねばいいという祈りがこめられていた。きこうでんびちこはさらに落ち着き払ってこう続けた。
「人類のうんこくさい歴史のなかにあって唯一保存する価値があるのはエロスのそれである。エロスが世界を救うという信念のもと、今から三十年前に誕生したのがこの国際こじき協会です。わたくしどもが標榜する《世界こじき化計画》はいまや深く静かに進行し、エロスを中心とした廃人社会を築くため、多くのこじき同志が日夜こじき活動に励んでいます」
きこうでんびちこは、《ウンコペレストロイカ》《戦闘的オナニズム》《奴隷制度の復活》といった言葉を交えながらその計画の全貌を語った。
このきちがい女は、こじきを使って世界を征服し、廃人のための理想郷を打ち立てようとしているのであった。この街を拠点としたこじき包囲網が目に見えない速度でひそかにしかし着実に浸透し、世界規模のこじきネットワークが構築されつつあるらしかった。
そのとき、きこうでんびちこの形相がにわかに一変し、凶悪な殺気を放った。
「しかしながら、今日、この会場に、わたくしどもの計画に異議を唱える者が混じっています」
会場がざわついた。
「おまえ!」
きこうでんびちこの指はまっすぐにわたくしの顔面をとらえていた。
聴衆がいっせいにぞろりとわたくしの方を振り向いた。敵意に満ちたまなざしが突き刺さった。
「おまえ、、、隠しきれない邪悪な思念波が、おつむから漏れておるぞ!」
なぜだ。どうしてわたくしが、異分子であると、判ったのだ。。。
わたくしは意を決して、きこうでんびちこに抗弁した。
「あ、あんたは間違っている! 現行のシステムを批判し、手前勝手な理屈で都合のよいシステムに上書きしようとしているのはあんたも同じじゃないか。なにが《世界こじき化計画》だ。それこそ独善以外の何者でもない。あんたこそとんでもないサヂストの独裁主義者だ!」
きこうでんびちこの顔面は怒りのあまり紅潮し、心なしか巨大な頭部から湯気のようなものが放出されているように感じた。
『おまえの意見は却下されました』
ペンチで締め付けられるような激痛が頭部に走った。
『おまえの意見は却下されました』
きこうでんびちこの《意識》がわたくしの脳に侵入してくるのがわかった。抗いがたい凶暴な力によって、わたくしの思考はねじふせられた。こ、この女・・・テレパスか・・・!
『おまえの意見は却下されました』
わたくしは力をふりしぼって前に進んだ。貧相なこじきがわたくしの肩をつかんだが、わたくしは強引にふりはらった。
前方に渦巻くこじきどもの混乱をかき分け、壇上のきこうでんびちこに近づいた。びちこは驚きと恐怖の表情をありありと浮かべた。
『おまえ・・・』
「きさまの正体をあばいてやる!」
わたくしはきこうでんびちこの頭にかぶせられた意味不明なかぶりものをひきはがした。と、尋常でない量の縮れ毛が現れた。かぶりものの締め付けから解放されたびちこの頭はだらしなく二倍に拡張し、湯気を放っていた。まるで巨大な●んたまのような醜悪なそのバケモノは金属的な悲鳴を上げた。同時にわたくしの意識は遠のき、暗黒の淵へとひきずりこまれた。
***
わたくちは今、この街の病院の一室で暮らしています。数度にわたる脳外科手術のおかげで、以前よりも頭がすっきりし、性格も明るくなったような気がします。毎日がててもたのしいです。
そんなわけで、鉄格子の向こうのあのきわどく美しい空からいつの日かでかい●んたまが降りてきて、この世界を踏み潰してくれることをわたくちは心から祈っています。(了)