道端でガキが待ち構えていて俺を指差して自転車が来た!とほざきやが
ったので「嘘つくなハゲ」と言ったら50mほど後方から自転車が来て俺を跳ねた。
原作を読めばわかるが、ポリアンナの論法というのはその半分ぐらいが、「○○でなくてよかった」という屁理屈で占められている。お手伝いのナンシーが自分の名前が嫌いだ、と言うと「ヘプジバでないのを喜べばいいのよ」。寝たきりで歩けないおばあさんが悔やんでいると、「目が見えないのでなくてよかったって思うの」。つまり、相手の不平に先回りしてあらかじめ非在のディストピアをでっちあげ、その渦中にいないという事実により辛うじて現在を肯定するという、なかなかまわりくどく姑息な論法なのだが、一方でこれは力強い自己肯定の過程でもある。たられば式の後悔に満ちた結果論ではなく、それを裏返しにして進行形の現在をみせるという究極の原因論なのである。つまり絶望論者こそが最強の楽観主義者であるという逆説的な詭弁が成り立ってしまうという恐ろしい世界である。凡人がこれをやるとただの自慢や説教になって嫌味が強すぎアッチいっちゃえ、ということになるのだが、ポリアンナは超人的な情熱と一点の曇りもない無邪気な押し付けがましさで抑圧してくるのでとうとうこちらが根負けしてしまうという感じなのである。もちろんこのような屁理屈にはおのずと限界もある。なぜなら言い換えれば都合の悪い現実に目を伏せているだけなので、実際成長するに従ってポリアンナは遊びができなくなるのだ。ところでポリアンナって誰だよ。