Grand-Guignol K.K.K

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N○K朝の連続テレビ小説

ご存知、昭和36年から続いている長寿シリーズである(http://www.hyou.net/a/asadora.htm)。上半期は東京支局、下半期は大阪支局が製作を担当するらしい。土曜日の朝などにテレビで半強制的に観せられてしまうことがあるのだが、まともな神経の持ち主が観たら脳が溶けるような話ばかりである。そしてひとつ気になるのが、なんというか近年とみにステレオタイプ化が進行しているというか、ヒロイン像といいストーリーといいある特定の方向に固定化してきているような気がするのである。俺はここ何年かの歴史しか知らないのだが、その傾向を分析するとだいたい次のごとき特徴が浮かび上がってくる。

主人公:若い女性。やたら我が強い。
タイトル:ヒロインの名前もしくはあだ名。変わった名前が多い。
ストーリー:観ていないのでよく知らないが、なんかヒロインが恋愛や仕事に悩んだり頑張ったりするらしい。要するに薄っぺらい。

さて、つねづね疑問に思っている人もいると思うが、なぜ朝ドラの主役は若い女性ばかりなのだろうか。別にジジイやババアを主役にしろというわけではないが、少なくともこの鉄則を破った「走らんか!」が当時史上最低の視聴率を叩き出した事実は記憶に新しい。もうひとつ、若い女といってもどれもこれも似たようなヒロイン像である必要があるのだろうか。しかも「おしん」のごときひたすら耐える暗いヒロイン像は近年めっきり影をひそめ、地方を舞台にかつてのトレンディドラマから庶民レベルにスライドしたかのごとき、活発を通り越してラリったようなキャラクターが最近とくに目立つ。
「それはですね。視聴者がそのような作品を期待しているからです。朝からネクラなブスがメソメソする話なんて見たくないでしょう(笑)」(脳内○HKプロデューサー談)
ははあ、とうとう白状しましたね。NH○朝の連続テレビ小説の欺瞞性がここに至って明らかとなりました。果たして視聴者は本当にそのようなヒロインの「像」を期待しているのだろうか。この裏側にある種の大衆操作の陰謀くささを感じるのは俺だけだろうか。つまり、一億総ロリコンの国民性を露呈しつつ、世間認定のあるべき「健全さ」がここで描かれているわけですね。逆に言うと、いかに浮世離れした設定がなされようとも、朝ドラ特有のぬるい演出のもとでそれらは「普通」さと「健全」さのうちに丸め込まれることになる。朝は健全きわまる朝ドラで一息ついて、昼は愛憎ドロドロのメロドラで悩ましいため息をつくという一見矛盾した生活を日本の主婦は強いられるわけだが、昼メロが虚構性を前面に出しているのに対して朝ドラは健全である分タチが悪い。身構えることもなく惰性でダラダラと見続けられる分、そこに見えざる罠がひそんでいる。洗脳効果が高いのである。観光業界や伝統産業などと結託して権威ある公共機関が垂れ流す世界統一電波に操られて広がる穏やかな思想的すりこみ。かくして朝っぱらから画一的なイメージを押し売りする朝ドラにより、弛緩しきった主婦の脳髄にかくあるべしの典型が叩き込まれ、ますます偏った価値観と国民性が補強されていく。世界に広げようアホドラの輪。とまあこんなことを言うとヲタクが必死になって怒るかもしれないので書かなかったことにしよう。