KOZIKI
わが家の裏庭に乞食の一家が住み着いたのは、つい一週間ほど前のことでした。
どこからやってきたのか知りませんが、勝手にテントみたいなものを建てて住んでいるのです。
こっそり様子を覗うと、ボロをまとった男女がテントのなかに寝転がっているのが見えました。子供もいるようです。
通報するのはかわいそうだわ、と母は言います。そのうち出ていくだろう、と父ものんきに構えていますが、私は気が気でなりません。というのも、最近なんだかうちの家の物がだんだんなくなっている気がするのです。台所にあった調味料とか小物とかが微妙に消えているようなのですが、気のせいでしょうか。
悪いことに、彼らは宗教きちがいでした。
ひまさえあればわけのわからないお経を唱えているのですが、ひまだらけとみえて一日中ポクポクという木魚の音と読経の声が鳴り止みません。
「♪とざいと〜ざい南無観世音クレクレ阿弥陀の大殺界
夢の浮き橋わたらせば 地獄の底からコニャニャチワ
ちょいなちょいなで日が暮れて なんじゃもんじゃで夜が明ける
コンコンチキチ、コンチキチ、カエルがなきますホーホケキョ」
地獄です。聞いているとこっちまで頭がおかしくなりそうでした。
たまりかねて私は、テントの入り口に垂れ下がっている新聞紙を払いのけて絶叫しました。
「静かにしてください!」
いつのまにか乞食は4匹に増えていました。テントの奥にはダンボールで作った祭壇が設置され、中央に汚い土人形のようなものが祀られていました。
乞食たちは私の訴えを無視して、一心不乱に経文を唱えています。
「そのお経をやめてください!」
私の金切り声に乞食一家はお経を中断し、一斉にぞろっと振り向きました。
「うぬら無明の闇へ堕つるぞ!」
「不浄の地を清めるのじゃ!」
彼らは口々にわめきたて、なおもしつこくチャカポコと楽器を鳴らします。どこで拾ってきたのでしょうか、塗りの禿げた木魚を子供が叩いていました。
「いいかげんにしてください!」
私は子供から撥と木魚をとりあげました。子供はうらめしそうに私をにらみ、代わりにお茶碗の縁をお箸で叩きはじめました。三日前になくなった私のお茶碗でした。
私はこのいまいましいお経をやめさせようとして、乞食の子供から奪った木魚を撥でめちゃくちゃに乱打してやりました。こんな集会、つぶしてやる!
ところが、思いがけずこれが読経のリズムにマッチしてしまい、不思議なグルーヴ感を生み出したのです。
「♪ほじゃらほじゃほじゃアホダラ経の、神のみわざに仏のわざくれ
ヨシの髄から天井の先まで透けて見ゆるわホレ見ておじゃるわい
ゆやーんゆよーんゆやゆよん あめゆじゅとてちてけんじゃ」
痺れるようなむずがゆいような、めくるめく感覚がお尻のあたりを駆けあがりました。
乞食たちは目を輝かせ、「よし」という感じで私にむかってうなずきました。
それに釣られて、なんとなく私も演奏を続けてしまいました。
そして、気がついたときには私自身、図らずもこの乞食とのセッションを楽しんでいたのです。
なんて気持ちがいいんだろう。私は、思わず撥をもつ手に力をこめました。
これが後に伝説となる宗教バンド「KOZIKI」の誕生でした。
それからまもなく、母が加入しました。あまり乗り気でなかった父も、銅鑼のパートをあげると喜んで入りました。
けっきょく、私たち一家は全員テントに移住することになりました。
今日もテントは満員御礼、朝な夕な寝食わすれて読経に勤しむ毎日です。
読経にあわせて木魚を叩きながら、ときどき私はこう思うのです。
ああ、きっと私は最初からこうなる運命だったのだ。私はこれをするために生まれてきたのだ、と。この澄み切った道を私はどこまでも歩いていこう。
感極まって見上げた黄昏の空を一羽のツバメがついと横切り、私の頭にうんこを投下していった。