仮面の告白
ぷはーっ。イソジンうめええぇ。
さて、おりしも世間ではGW、GWと大騒ぎの真っ最中ですが、G・W=「ごっど・わーるど」の思想がかくも世間に認知されようとは、さすがの奥崎謙三先生も予想されていなかったことでしょう。いまごろ草葉の陰でヤマザキ上等兵と変な意味で抱き合いながら大喜びなさっているでしょうね。合掌。あれ、まだご存命でしたっけ。そんなこんなで、私もこの時期まあ忙しいといえば忙しいのですが、ひまといえばひまだったりもするわけです。どっちなんでしょう。どっちでもいいんだよ。考えるだけ無駄だっての。てかオマエラに関係ないだろ?ああん?
失礼しました。このように今日は比較的しんみりした気分なので、趣味の托鉢のあいまを縫ってみなさまにひとつ真面目な話をしたいと思います。
人の死ということについてです。
なんだかんだで、僕はよく人の死について思いをめぐらします。「デスファイル」とか、「ジャンク」とか、「ギニーピッグ」とか、あと「カランバ」なんてのもありましたね。いやそういうのじゃなくて、もっと真面目な意味で。自分の死について。親しい人の死について。見ず知らずの他人の死について。罪もなく奪われた命について。時の波間に消え去った名もなき魂たちについて。
確かに僕はごくたまにだが「ちんこ」とかここに書いて喜んでいるように見えるけども、それはここをノゾいている変態どもを喜ばせるため、偽りの仮面をかぶっているに過ぎない。本当の僕はそんな人間じゃない。背徳的な言葉を人前で吐く勇気なんて持ち合わせていない。本当の僕はうんざりするほど弱い人間だ。
ガラス張りのバレエ教室で踊るタイツ姿の少女たちがいても、不機嫌そうに横目でちらっと見るだけ。通報されるのが怖くてむりやり目をそむけてしまう。喉から手が出るほど欲しいアイドルの写真集があっても、自分が死んだあとに発見されるのが怖くて買うことができない。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で四方を若い女性に囲まれたときは、○起して痴漢と間違われないよう頭のなかで必死に般若心経を唱える。すれ違う女子高生にコートをガバッと開いて悲鳴をあげさせる勇気もない。あわれな、臆病者。
そんな小心な人間が、鋼のような肉体と精神に憧れを抱くのはむしろ当然じゃないだろうかという気がする。気障な言い方だけど、僕はずっと超人的な存在に憧れていた。といってもブルワーカーやアブフレックスを通販でこっそり購入するような間抜けになるつもりはない。それは本物の超人じゃない、まやかしの強さだ。あらゆる卑小なものを超越すること、有限性の鎖から自由になること、そして永遠の命をもった真の超人的なる存在にたどりつくこと。これが僕の理想であり、誰も知らない本当の僕の姿なんだ(嗚呼、恥ずかしい!)。
ここで僕は、歴史上もっとも凄絶な死を遂げた憂国の士、三島由紀夫の最期に思いを馳せる。一体なにが彼をあれほどの激情に駆り立てたのだろうか。国を愛するが故の行動とはいえ、あのような壮絶きわまる散り際を選ばざるを得なかった理由は何だったのか・・・。
昭和45年11月25日、三島は自ら組織した「楯の会」メンバー5人とともに、東京市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込んだ。そして陸将の益田兼利総監を人質に立てこもり、衝突した自衛官から8名の負傷者を出した後、三島はバルコニーで約1000人の自衛官を前に檄を飛ばした。
「われわれは自衛隊を愛すればこそ憲法を改正するため、自衛隊が決起する事を願ったのに、自衛隊はわれわれの希望を裏切った。諸君は自分を否定する憲法を何故守るのだ!」
その直後に三島は敢然と自ケツ・・・
を掘ったとか掘らなかったとか。
どうやって自分で自分を掘ったかは今だに謎で、イチモツが超人的に長かったとしか思えないんだが、どうなんでしょうか。
ごめんなさい、またやってしまいました。本当は三島なんて人知りません。本も読んだことないです。ごめんなさいごめんなさい、僕は最低の人間です。もうしません。もうしませんとは申しません。ていうかここ覗くたびに100円課金されてるって知ってました?