タイムマシンにおねがい
戯れの遠目なLOSERの皆様こんにちわ、ボーカルのミッチーこと鈴木宗夫です。
連休なので実家に帰省したところ、笑顔で出迎えたママンが開口一番こう言いました。
「おまえのガキ時代の物品が邪魔になってしょうがない。さっさと処分しやがれ(笑)」
というわけで、休日だというのに強制的に物置き小屋の片付けを手伝わされる羽目になりました。
子供時代のものを捨てられない、という話をたまに聞きますが、その気持ちはなんとなくわかるような気がします。自分が成長とともに置き忘れた、なにか大事なものがそこに眠っているような気がするものです。しかし、いずれ整理しなくてはいけません。遺品になってからでは遅いのです。くだらないものを残しておいても、身内や赤の他人にうっかり見つかって物笑いの種になるのがオチです(自分もそれで笑ったクチですが)。だから、そんな情けないことにならないよう、この機会に自分の手で始末をつけておこうと思ったのです。
しかしまあ、自分の子供時代の思い出を紐解くのは不思議なときめきをおぼえます。汚れを知らない年齢のイノセントな輝きに目を細めると言いますか、まぶしいようなこそばゆいような気持ちで、段ボール箱のビニールひもをほどくと、ゴチャゴチャ乱雑に詰め込まれた大量のオモチャや教科書、文房具などが出てまいりました。で、それらを眺めておりますうちに、ご多分にもれず、甘酸っぱいような、いたたまれないような感情がこみあげてきて、こう思いました。ああ、あの頃に戻りたいなあ、あの頃に戻って、自分で自分を絞め殺してやりたい、と。
手始めにテストの答案です。この当時に必死のパッチ(死語)で覚えこんだことが、現在なにひとつ役に立っていないという事実に愕然といたしました。ていうか何これ、なんでこんなものが解けるの?頭良すぎない?ひょっとして天才?かと思ったら「練絡」とか素でまちがえてやんの。頭わるすぎない?もしかしてキチガイ?
もっと恥ずかしいのが美術作品です。わけのわからないうんこのような形のねんどの置物が出てくるのはまだいいとして、ボロボロになった絵画が数枚出てきたのですが、かつて私は自然や静物の写実的な細密画を好んで描き、田舎者ながら賞もいくつか戴いてそれなりに誇らしく思っていたものです。が、今見ると本当にたいしたことないですね。しかもそれに「音のない世界」とか、いちいちキザったらしい題名がつけられているのです。お笑いです。このエセ詩人きどりめ!反吐がでるわ(笑)!とか普段えらそうに吠えている当人がこの体たらくでは世話ないですね。隣の鶏小屋に首を突っ込んで突つき殺されたい気分になりました。
そうこうするうちに、もっとひどいものが出てきました。
詩「ハエ」
くさってきたない物のまわりに
ハエがたかっている
目玉をぎょろぎょろ動かして
不けつな物にたかっては
よろこんでいる
どうしてあんなものが
好きなのだろう
でもハエにはこれが
生きがいなのかもしれない
ヤクルトでも飲んでラリっていたのでしょうかこの小学生は。よくもまあこんなアルツハイマー的妄言を垂れ流せたものです。しかもそれをみずから<詩>と銘打つ厚顔ぶり。あきれてものが言えません。恥を知れ、恥を。これなんかまだマシな方で、あとはとてもじゃないがお見せできません。というかマジで洒落になりません。
そんなわけで、おのれが子供時代に寄せていた郷愁の正体は、じつに間抜けと同義の幻想、恥以外のなにものでもないことをイヤというほど思い知らされたのでした。ついでに都合よく忘れていただけの数々の忌わしい思い出まで甦ってきて、ダブルで鬱にとりつかれ死にたくなりました。なあにがイノセントだ、なあにが目を細めるだ。コアラ100匹にしがみつかれて死んでしまえ。
いたたまれない思いに打ちのめされた私は、わが幼年時代を封印していたビニールひもで輪縄を作りながら、早いとこどっかのキチガイ博士がタイムマシンつくってくれないかなあと思いました。