今日の童話
歌う女 1ねん1くみ たなかよしたけ
早朝の駅前は閑散としていた。私が停めた車のまわりに、黒い犬がうろついているのと、あと妙に影の薄い女が一人。
年の頃は二十代か三十代、あるいは四十代ぐらいだろうか。あるいは八十歳ぐらいかもしれなかった。
もしかしたら男かもしれないが、どうでもよかった。それぐらい、そいつには存在感がなかった。
女はゆっくりと、たゆたうように近づいてきた。
聞き覚えのあるメロディを口ずさんでいた。
「♪キミガヨワ〜チヨニヤチヨニ〜」
『365歩のマーチ』のメロディで、『君が代』を歌っているのだった。
歌いながら女は私の首に手をかけた。
やめてください、と私が手をはらいのけると、女は泣きそうな顔をした。
「♪サザレイシノ〜、イワオトナリテ〜」
そのとき忽然と地面に穴があいて、車も犬も女も歌も、暗黒の淵にのみこまれていった。
世界の終わりだった。(了)