昼顔
「牛にも名前が?」
「ほとんどの牛が"後悔"という名前だ。一匹だけ"贖罪"という牛がいる」
「昼顔(BELLE DE JOUR)」(1966 仏 ルイス・ブニュエル監督)
ブニュエルにしては遠慮気味というか、解釈が許されている時点で非常に親切な作品。原作があるらしいので当然かもしれないが。強迫観念に満ちた鈴の音が導入剤となって、冒頭の馬車の情景にループしていくラストなどいかにも解釈してくださいと言わんばかりである(もちろんいずれが正解ということもない)。ただ、劇中に散りばめられた嗜虐、被虐、窃視、フェティシズム、少女愛好、屍体愛好といったわかりやすい倒錯的な記号の渦がさながら変態博覧会の様相を呈しながらも、それらはブニュエルの韜晦趣味に隠れて奇妙に非(超)現実的な手触りを残すので、観客はブニュエルの真意を測りかねてまたしてもうろたえることになる。しかしまあ、カトリーヌ・ドヌーブ。抑圧された主人公の性的妄執が周囲を巻き込んでいくというモチーフはロマン・ポランスキーの「反撥」を即座に想起させるが、ブニュエルの息子フアン・ルイス・ブニュエルも「赤いブーツの女」というヘンな映画(脚本はパパ・ブニュエルの片腕ジャン・カリエール)をドヌーブ主演で撮っているし、おそらく変態どうし一脈通じるところがあるのだと思うが、ポランスキーやブニュエルといった映画界屈指の変態がカトリーヌ・ドヌーブというさほど色気のない女優になぜ執着するのかというと、マネキン系というか、アンドロイド系というか、ほどよく無感動で、無表情で、なおかつ畸形的というドヌーブのもつ特性に、ある種の嗜虐的な暗い妄想を呼び込んでしまう隙があるのだろうと思われる。焦点の定まらないやや逝っちゃってる感じの視線や衣装の魔力についても澁澤龍彦がどこかで指摘していたが、私はそれほど変態ではないのでよくわからない。ドヌーブのほかにも「小さな唇」の腺病質俳優ピエール・クレマンティ、「サスペリア2」の超能力者ヘルガ・ウルマンを演じたマーシャ・メリルなどアクの強い配役がおもしろい。★1/2