マッキラー
「Don't Torture a Duckling(Non si sevizia un paperino)」(1972 ITA Directed by Lucio Fulci)邦題「マッキラー」Region All 字幕なし 再見
フルチ初期の傑作ジャーロ。懐かしいのでなんとなく買ったが、よく見るとこのジャケはかっこよすぎ。ちなみにババアが川で洗濯していると川上から死体がドンブラコと流れてきた図ではない。まあ犯人は誰でもいいし、捜査の過程も正直どうでもいいのだが、要所にはさまれる残酷描写がフルチ大明神の面目躍如。とりわけ、甘美な調べとともにお人形ちゃんが断崖絶壁でスパークしながらずるむけになる微笑ましいラストのスローモーションは、子供たちが楽しげに戯れる理想郷(妄想)とのカットバックにより落差が強調され、グロ美学とリリシズムあふれる素晴らしいシーンになっている。「ザ・サイキック」でもこれと酷似したシーンが再現してあったので、フルチ本人もよほどこの映画が気に入っているのだろう(単にネタを使いまわしただけかもしれないが)。ちなみに、頭のないアヒル人形を抱えた聾唖少女を演じたファウスタ・アヴェリは「ザ・サイキック」にも登場している。さて、本編とはあまり関係ないが、フルチ作品では(不可能な)残虐シーンにおける人間から人形へのシフトの瞬間が比較的露骨に描かれていることを指摘しておきたい。「サンゲリア」でも「地獄の門」でも「ビヨンド」でもその傾向は顕著で、これは拙さというよりも、いささか滑稽さをまとったグロ描写の宣言として機能している。「地獄の門」の有名な内臓どばどば逆流シーンなど半分ギャグとしか思えないのだが、カットの繋ぎに本物の羊の内臓を女優に含ませ実演させたという伝説もあるぐらいだからフルチ自身はきわめて真剣である。もうひとつ本作で特筆すべきは、犯行の動機の特異さである。私はミステリ一般における動機の説明というものをどうでもいいと思っているが、この作品については驚いた。ここに描かれているのは宗教的信念に基づく人間性そのものへの絶望である。これを性的倒錯という凡庸な図式に読み替えることもできるはずだが、フルチはあえてそうしなかった。そんなところがなんとなく気に入っている。