サラ、いつわりの祈り
「サラ、いつわりの祈り(THE HEART IS DECEITFUL ABOVE ALL THINGS)」(2004 米 アーシア・アルジェント監督/J・T・リロイ原作)96分
冒頭、狂ったように震えるバニーの背後から覗いたアーシアの醜悪さにまず驚かされる。ただれた生活を偲ばせる塩辛声と厚化粧、野卑な態度にダリオ・アルジェントも仰天し、「おまえをそんなビッチに育てたおぼえはないぞ、あといつのまにそんなイヤラシイ体になったんだはあはあ」と言ったかどうかは知らないが、「スタンダール・シンドローム」の頃とは似ても似つかぬ蓮っ葉ぶりである。で、男のもとを転々と渡り歩くサラに翻弄され、行く先々でジェレマイア少年は虐待されたり洗脳されたり女装したりお釜を掘られたり、これでもかと言わんばかりのハードな調教の日々。それでも生きるために器用に適応していく子供の可塑性が私にはいちばん恐ろしく感じられた。またサラの歪みの元凶が生家で受けた過剰なカトリシズム教育への反発に由来するらしいところがリアル。思い通りの鋳型に無理やりはめようとすれば必ずそこからはみ出す部分が発生するし、適切なケアを怠ればかようなビッチができあがる(厳格な家庭の子供が不良になったというのはよくある話)。ところで、今ではこの原作そのものがどうやら「いつわり」らしい、というのが世間の定説らしい。実話ベースの自伝的作品との触れ込みだったが、インタビューにも登場する原作者のJ・T・リロイ(どう見ても少女)はダミーで、どっかのオバサンが書いた妄想小説というのが実情のようです。まあ別にどっちだっていいのだが、目的がどうであれ過去のトラウマを売り物にするというスタンスにあざとさを感じるのは事実。むかし私はこんなヒドイ目に遭いました、しかし今は立ち直って社会的にも成功しています、ああそうですか、で完結しかねない。★