Grand-Guignol K.K.K

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ビッチ、いつわりの祈り


 本日は公私ともにお暇なところ、ほうぼうよりお集まりいただきまして、乞食のみなさまには心よりお悔やみ申し上げます。
 さて、とつぜんですが、こう見えてもわたくしは驚くほど心が狭い。寛容さなどスズメの糞ほどももちあわせておりません。人様に失礼な発言をするなどもちろん朝飯前。聞けば他人の趣味嗜好にケチをつけるのは最低の行為だそうである。だからわたくしもさっそく実行する。
 たとえば電車のなかでヘッドホンから大音量の雑音をもらしながら恍惚としているやつがいるので、うへ、きもちわりいな、どんな音楽きいてやがんだちょっとヨコセととりあげてみたらばモッツァルトとかいういけすかない巻き毛野郎の曲が聴こえてきた、なんて経験のひとつやふたつはみなさんにもあると思います。もちろんそのような趣味をわたくしは否定しません。否定はしませんが、バカにはします。こういう手合いは一般にヲタクと呼ばれ、世間から薄気味わるがられている乞食の一種であります。そんな乞食のなかでも特に始末が悪いのが諸君、すなわちインターネットに張り付いてオゲージュツに目を光らせている蛆虫アート野郎のことですが、諸君は本当にきもちがわるい。インテリ気取りでなにかにつけて一言いわずには気がすまないようだが、そんな乞食どもがえらそうなことを言ってるわりにふたを開けてみるとたいしたことなかったり、「××はよくわかっている」などと得意げにぬかす奴に限って何ひとつわかっていないというのはありがちである。ネット乞食の分際でちゃんちゃらおかしいというか、けっきょく諸君が語っている(と思っている)のは自分自身であって、俺はこういう一歩退いた視点から観察できるんだぜフフン、的な批評家ヅラを下げていれば大体こと足りる。今日も上手に小理屈をこねくりまわせたよママン、というわけだ、ああ鬱陶しい(笑)。その結果みずからの愚かしさを露呈しているのは傍目にも明らかなのですが、墓穴掘りが大好きな諸君はそのことにまったく気づいていない。致命的なことを申し上げるようだが、諸君はさも自分の主張が重要であるかのごとく大層な勢いで吹聴しているが、この手の自意識過剰は多くの人にとってはどうでもいいことであり、ダカラナンナンダせんずりコイテロというレベルのものである、などと言うと諸君は否否否否、おれはあくまで理性的かつ自覚的にせんずっておるのだああなどと言い出すのであって、この自覚的という言葉を一種の免罪符のように使うのが好きなのだが仮にせんぽ譲ってせんずりが自覚的な表現行為だとして、なんらかの付加価値がない限りそういうまぬけな行為が傍目には単に汚らしい行為に過ぎないということを諸君は何処まで理解しているのだろうか。要するに諸君は愚鈍なのである。その証拠に諸君は十中八九、みずからの愚鈍さを認識していない。それどころか神経症や露出狂じみた自意識を、感覚の鋭敏さや明晰さにすりかえてそれを疑おうともしない。
 とまあ、ここまで言ってしまうとさすがに諸君も怒り出すだろうし、あるいはそれはこっちのセリフだあ、あ、とちんこをふりたてて殴りかかってくるかもしれない。だから心からすみませんでしたと申し上げたい。しかしあえて言わせてもらうならば、わたくしに対する諸君の怒りはおしなべて的外れである。なぜなら、諸君がわたくしを嫌いなきもちよりも、わたくしが諸君をきしょいと思うきもちの方がはるかに強いからである。諸君を永遠にいたぶりつづけることがわたくしの夢。わたくしは諸君にもっともふさわしい無様で滑稽な死にざまを与えたいと願う。そしてわたくしのふりあげた嘲罵のちんこが諸君の鬢たを捉え、地べたと接吻するせつな諸君の額に刻印された《恥》の一文字を、わたくしは心のキャメラに収めたいと思う、なぜなら、それが諸君が追い求めた見果てぬ夢の最後のかけらであり、せめてものわたくしの武士の情けであるから―。
 以上をもちまして、みなさまへのお礼とお詫びとお悔やみと呪いの言葉に代え、わたくしの弔辞とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。