燠火
『燠火(Feu de braise)』(1960 仏 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ著/生田耕作訳)
マンディアルグの第三短編集。
「燠火(Feu de braise)」△
頂上まで達したとき、自分の栄光と連中の悲惨があまりにも痛切に感じられ、いささか憐みの気持ちで連中のことを考え出したほどだ。(頼みさえすれば)と彼女はひとりごちるのだった。(南米人にとりついであげてもいいのに。)
(あらすじ)フロリーヌは南米人が主催するパーティに招かれ騾馬に似た女と踊った。途中で意識が遠のき、目が覚めると袋の中に詰められていた。
(かんそう)まあ、そんなもんでしょう。
「ロドギューヌ(Rodogune)」○
裸木や、古鉄は、それに漆喰も、私にたいして不思議なちからを有している。どれもみな私の雑念を取り押さえ、それらをしっかりつかねたひとつの花束のようなかたちに仕上げて、誰れときまったわけではないが、一人の女性のほうに差し出す役割をつとめるのである。私の精神のなかではこのような粗雑な物質が、何故かはよくわからないが、久遠の人形と結びついているのだ。
(あらすじ)海岸沿いのボロ小屋に住むロドギューヌは黒装束でいつも牡羊を連れている奇妙な女。警戒と孤独のなかで暮らす彼女を私は村に近づけようとするが、村人は彼女を禁忌の対象とみなし拒絶する。ある日、けばけばしく飾り立てたロドギューヌとリボンをつけた牡羊が村に現れた。村人が殺気だち、ロドギューヌに悲劇が訪れる。
(かんそう)牡羊おもろい。
「石の女(Les Pierreuses)」△
鴉の羽は、灰色の空を背景に、たいそう開いたMの文字をいくつも黒色で描き出すのだった。そしてそれはイタリアで家々の壁の上にさまざまな名宛に炭で記されているのをよく見かける、evvivaのWを逆さまにした、「死ね」の略字にそっくりだった。
(あらすじ)小学校教師のパスカル・ベナンは帰宅する途中、悲鳴を上げる石を道端で拾う。家に帰ってナイフで割ってみると、三人の裸の女がなかから出てきた。彼女らはベナンの行為を非難し、二十四時間以内に訪れるであろう死をペナンに宣告する。三人の女は怪しげなダンスを踊ったあと、炎に包まれ燃え尽きた。こんな呪われた石は司祭が拾えばよかったのだ、とベナンは思った。
(かんそう)同感です。
「曇った鏡(Miroir morne)」◎
外では、雨が運河の水を皺よせ、そこに汚物が流れ漂うさまをわたしは頭の中で想い描くのだった。そして幼女よ、お前のほうはめそめそと訴えるのだった、稲妻と隙間風が横切るこの古めかしい家屋の中に、むきだしの寝台の足もとの、色褪せた敷物の上に、ほとんど素っ裸の自分を見出して。
そして頭を垂れたその花は酸っぱくやさしい匂いをおびて、わたしたち二人を掻き乱すのだった、だってそれは、幼女よ、お前の匂いに似ていたからだ、わたしたちの秘密のベッドの上でお前の白い下腹から巴旦杏の実が割れ目を覗かせるおりの。
わたしの幼女がいつか舞踏会のためにまとった祖母の長いドレスに身をくるんで、彼女の顔立ちのもとに街外れでわたしを待ち受けていたのは、死神だったのだ。
(あらすじ)愛しい幼女を陰気な建物に呼び出し逢瀬を重ねていたわたしは、ある嵐の晩、意地悪な喜びと優しさの両方から、幼女を雨嵐のなかへ追い出す。怯えきった幼女の姿が消えた後でわれに返り、狂ったように街を探しまわったが幼女はどこにも見つからなかった。波止場にいた幼女と瓜二つの女が、舟に乗り込むようわたしに指示する。幼女が死んだことをわたしはぼんやりと悟った。
(かんそう)この作者はちょっとヤバいのではないか。
「裸婦と棺桶(Le Nu parmi les cercueils)」○
椰子の木とバナナの葉っぱを背景に、黒色と薔薇色の棺桶がいくつも、まるで水槽の底に、緑色の藻にかこまれてまどろむ大きな魚のような恰好で横たわっておりました。その幻覚をさらに高めて、薄汚れたガラスごしに、光は濁った水を通りぬけてくるかのように見えます。そしてガラスの上にはこんなふうな自信たっぷりな(それとも思い上がった)文字が読めました。《ヴィルグラの棺桶が終止符(ヴィルギュル)を打つ!》
だって社会的な、また宗教的な儀式なんてものはたいていみなそうですが、これもたぶんに素朴と愚昧の、特に並みはずれた子供っぽさの産物であるように思えたからです。そうです、子供(なんなら年取った子供)以外に、こんな気味悪い組み立て玩具を考え付く人間はいないはずです。
(あらすじ)恋人に虐待され、やけくそになって街に飛び出したあたしは、棺桶屋のペドロ・ヴィルグラに呼び止められる。店の内部は棺桶でできた小劇場になっていた。命じられるままあたしはストリップを披露するが、棺桶屋があれこれうるさく注文をつけてくるのでやる気がなくなりました。そんなあたしに腹を立てたのか、棺桶屋は捨て台詞を残して立ち去っていきました。残されたあたしは直立する腐肉のように立ち尽くし、なにもかもどうでもよくなって棺桶に寝そべるのでした。
(かんそう)笑える。
「ダイヤモンド(Le diamant)」△
生まれてはじめてこのようなものを目にしたサラは、大きな人間に取りつけられたこのいうなれば小さな人間とでもいうべきものを、物珍しげに眺めるのだった、そして大きいほうと小さいほうとの間には、おそらくπのような常数に支配される、計算できないが完璧な或る比例関係が存在するのにちがいないと考えるのだった。
(あらすじ)宝石商の娘サラは、天上的な青を備えたダイヤモンドを鑑定している途中、こけて頭を打った。気がつくとダイヤモンドの中に閉じ込められていた。その中でサラはライオンに似た男に暴力的に犯される。目が覚めると、ダイヤモンドの中心には赤い汚点ができ、サラは妊娠していた。
(かんそう)えろい。
「幼児性(L'Enfantillage)」△
愛といえば、限りない期待をこめて築かれる塩でできた巨人像、蟷螂の姿をした大女の結晶像、ヒマラヤの最高峰よりも高くそびえる真っ白な彫像、自らの孤独を創り出す怖ろしい人物、《なにはともあれ》、とジャン・ド・ジュニは考えるのだった、《そんなしろものにだけはぜったいに出遇いたくない。たとえ夢の中であろうと、あのぞっとする平べったい三角形の頭をぜったいにこちらへ向けてもらいたくない。あの欲望でぎらつく視線にはさらされたくない!》
(あらすじ)ジャン・ド・ジュニがマグロのような娼婦を相手に励んでいると、ふと視界に入った輝く球形のイメージに導かれて、幼年期の乳母の面影、死のイメージと結びついた幼年期の記憶、とりわけ最初の記憶(ジプシーの馬車の滑落)がまざまざと現前してきた。のぼりつめた幼児性の高みで至福に達し、ジャン・ド・ジュニはぴくりとも動かなくなった。
(かんそう)もうちょい。
【総評】
少女陵辱のテーマが明瞭に打ち出された「曇った鏡」が、エロいわけではないがヤバい。「ダイヤモンド」「幼児性」は作者自身がお気に入りの会心作だそうであるがいまいち。★1/2