ミツバチのささやき
「Spirit of the Beehive - Criterion Collection」(1973 SPA Directed by Víctor Erice)邦題「ミツバチのささやき」Region1 English-Subtitled
いやはや、なんど観てもすばらしいですね。この作品がもつ不思議な手触りは、わたくしのような下等生物の心をも浄化し、その深奥に美しい詩を呼び醒ます力を秘めています。少なくともこれと同じ雰囲気をもつ作品をわたくしは他に知りません。強いて言えばレベッカ・ミラー監督の「アンジェラ」あたりかもしれませんが、ちょっと違いますね。さて、限りなく静止画に近い絵画のような映像の美しさや子役のかわいらしさ、特にアナ・トレントのまなざしとささやきボイスが本作に神秘的な魅力を与えているのは確かです。しかしながら本作が魔術たるゆえんは、単なる美しいおとぎ話にとどまらないという点にあります。もともとホラー系統の企画だったせいでしょうか、主演の子供たちが自ら描いたという絵が紙芝居のように次々と映しだされるオープニングがやたら怖い。「アラバマ物語」「チルドレン・オブ・ザ・コーン」「地獄の門2」でも同様の手法が見られますが、映画における最凶の不吉なアイテムといえばへたくそな子供の絵、これに尽きるでしょう。さらに全編にあふれるさりげない死のイメージ。静謐をきわめた映像のなかに、死の暗示がこっそり紛れこんでいるからこそ、本作は戦慄を伴ってその美をあらわにするのです。
さて、フランケンシュタインが少女を殺す物語と姉の駄法螺に影響され、少女が怪物の存在を信じこむことからお話は始まります。町外れの廃墟に負傷兵を発見した少女は、言葉を発しないその兵士に怪物のイメージを重ね合わせ、恐れながらもひそかに飼育します。しかしその関係は残酷な現実の手であっさり破壊され、これによって少女は一種の自閉状態を呈したまま失踪してしまうのです。このような「言葉を失う、自閉する」といったモチーフは思春期前のファンタジーにしばしば登場しますが、通常それらは一時的な熱病のようなもので、最後にすべて解除されるというお約束で描かれております。すなわち言葉をとりもどすことによって夢が封印されるとき、わたくしどものファンタジーは終焉を迎え、現実が夢に取って代わる。これが「正しい」成長の物語です。しかしこの映画はファンタジーが曖昧に持続したまま終わります。少女は夢と現実が未分化な精神の繭に留まりつづけ、フィルムのなかに永遠に封印される。そう、この映画は安直な成長の物語などではなく、幼年期に秘められた無垢なる精神のありようを、普遍的なひとつの物語のかたちでとりだしてみせた作品とも言えるでしょう。
ところで、父親に踏みつぶされる毒キノコはち○んぽこのメタファーであるとか、ラストのアナのまぶたは○ん@このメタファーに他ならないといった、正気とは思えない珍説をたまに耳にしますが、観終わったあとに何かしら言語化せずにいられないというのが本作の厄介なところです。しかしながら、映像そのものに内在する詩的な象徴力というか、ある種の難解さにはばまれて、安易に語ることを拒否する映画でもあります。わたくしはこの映画を観るたびに「なんだかわからんがすごい」と思うのですが、いまだに何がわからなくて何がすごいのか説明できません。言葉にしたとたん陳腐になる気がするのです。むしろこの作品の前では一切の言葉が不毛なお遊戯に思えてきます。そんなわけで、さんざん語っといてなんですけども、以上の感想はまったくもって不毛だと思いますね。
ちなみに特典のインタビューによると、本作がサン・セバスチャン映画祭でグランプリを受賞したとき、満場一致の結論ではなく一部でブーイングが起こったとのこと。本作の性質を物語るエピソードですね。