追悼のざわめき
「今日もほんまに地獄みたいに暑かった。道を歩いとっても、地面から水蒸気が湧き出てきやがるし。腐りかけた人間がくらげみたいに歩いとるし。それがイヤっちゅうほど目に飛び込んできやがった。そんな腐りかけが、あっちこっちに座ったり、立ったり走ったりしやがるんや。中には笑うとるやつもおった。何がおもろいんか知らんけど、よう笑いまくっとった。ごみくそのくせしやがって。あほたれどもが。」
「追悼のざわめき(THE NOISY REQUIEM)」(1988 日 松井良彦監督)150分
レンタルでもよかったのですが、タイトルがかっこいいのと予告編の女の子が超かわいかったのでつい買ってしまった。登場人物はいずれもある種の不幸(そう名づけるとすればだが)を刻印された人々。マネキンを偏愛する殺人狂の男、街頭演奏で日銭を稼ぐ傷痍軍人コンビ、姦通する矮人症兄妹、アジアコーヒーの麻袋と女の下半身に見立てた木の股を引きずり「コン・ニチ・ワ」と繰り返す気の触れた乞食など、気違いや不具や畸形といった禁忌の対象を本作はあるがままに描き、その無慚さに同化することを観る側に要請します。全体的に自主映画風の貧しさが漂い、きったな〜いシーンも目白押しです。そんななか異彩を放つのが世界の片隅でひっそりと寄り添って生きる幼い兄妹の存在。個人的に村田友紀子たんの可憐な美少女ぶりに感激しました。すばらしいですねこの娘は。あてもなく放浪する二人の姿はまるで異世界の住人のようにはかなげで、コノヨノモノデハナイ彼岸感すら漂わせている。ところが廃墟ビルの屋上でマネキンを愛撫する妹の姿に兄は欲情し、これを犯して死に至らしめてしまう。そこに救いはなくただ絶望的な静けさが残るのみです。しかし血の海に沈みゆく亡骸のなんと美しいことでしょう。妹の亡骸を背負って兄はけんけんぱをし、死化粧をして埋葬する。聖性の象徴として描かれる少女もそれを汚してやがて発狂する兄もついにみずからの言葉を発することはない。こうして映画は破滅に至る人々のそれぞれの無念の思いを残したまま静かに幕を閉じる。「追悼のざわめき」というのはじつに憑依的なタイトルだ。誰かの死に直面したときの呆然感や、葬列が通り過ぎてもなおまとわりつく憑き物のような心の動きが「ざわめき」という言葉に託されているように思う。それはたとえばコビトの女がみずからの残像と重なるシーン(幽体離脱?)や死んだ妹の霊が発狂した兄の周りを回るシーン、焼け落ちた巨大な墓標のような廃墟ビルや大阪の町を虚脱したように見下ろすコビトの不気味なラストショットと二重写しになっている。彼らの生の痕跡は目に見えない残留思念となって、忌まわしくも美しい呪いのように同じ場所を無限に回りつづけているのだ。「追悼のざわめき」はアナーキーな過激さと可憐な意志とが渾然となった、破滅を約束された魂へのレクイエムである。それはあたかも乞食が公園の噴水から掬い上げた水に反射する光のようにあやしい輝きを放っている。★1/2
というわけで作品としては気に入ったが、製品としてはまことにイラつく仕様。
・DVDのプラケースが菓子箱みたいな木箱に収められているが収納に困る。木棺風にするとか葬式じみたギミックがあるならまだしも。
・チャプターがないのは監督の意向らしいが迷惑。あまり意味のないこだわりだ。
・特典ディスク(「二十三年後のざわめき」)が異常にしょぼい。↓
「二十三年後のざわめき」(2007 日 元木隆史監督)92分
タイトルは撮影開始の1984年から23年後の意味。殺人犯役のひとがワンカップ片手にロケ地めぐりみたいなことをするのだが、ブツブツとどうでもいいヒトリゴトが多いうえ、撮影者が「僕」という一人称のゴミみたいな感想のテロップを入れるのでウザいことこの上ない。監督ほか重要な人物のインタビューはごくわずか。同封のブックレットの方がよほどこの映画の内容を伝えている。わたくしは初見だしこの映画のマニアでもなんでもないが、マニアであってもこれは嬉しくないのではないか。押し付けがましいというよりも、単純にないほうがマシなレベルの特典の見本であろう。ξ
結論。普通に本編とブックレットだけで5000円ぐらいでよかったと思います。