Grand-Guignol K.K.K

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マンハッタン・ベイビー


「マンハッタン・ベイビー(MANHATTAN BABY)」(1982 伊 ルチオ・フルチ監督)

のろいは続くよどこまでも 1ねん1くみ みやもとひろじ

(あらすじ)
エジプトで謎のこじきババアにあやしいペンダントをもらったスージーは、あまり気にせずアメリカに持ち帰ったところ案の定ノロイが発動。子供部屋に突如出現した砂漠でおっさんが遭難するなど、科学では説明のつかない怪現象が続発。いったいだれが何のために?んなこと知るか、とルチオ・フルチ、ダルダノ・サケッティ、ファビオ・フリッツィの黄金凸凹トリオが放つ不条理ホラー決定版。

(かんそう)
少女エロティシズムに目覚めたフルチが、シュールな無駄グロとのあわせ技により新境地を開拓した秀作。ゾンビ三部作に比べると地味だが、「墓地裏の家」と並ぶダークファンタジーに仕上がっている。憎たらしいロンゲのガキや変人の超心理学者などフルチ映画に欠かせないおなじみの脇役も登場し、お望みの壮絶な死を遂げます。フルチ映画においては不気味な凝視(邪眼)やクローズアップが不吉な暗示としてしばしば重要な意味をもつ。本作も例に洩れずわけのわからない凝視にあふれていてすばらしいのだが、憎たらしいガキに限界まで接写することにどんな意味があるかというと、おそらくそこには意味を超えて物象化したガキがいるのみで、単体では意味をもたないイメージの連鎖によってさらに不条理感を煽り、問答無用のフルチワールドを形成するのだ。まして赤ん坊は一匹も出てこないのに「マンハッタン・ベイビー」とはどういうことかという疑問にも一切説明はない。なぜなら「説明してもわからない」から。突如生命を得た三羽の鳥の剥製が歓喜にも似た鳴き声をあげておっさんに襲いかかるシーンはすばらしいな。特筆すべきは、フルチ作品でも一、二を争うほどのかっこいいラストシーン。白濁した老婆の両眼、ほどかれた少女の掌に残された呪いの紋章のストップモーション、転調を繰り返すテーマ曲。すべては白目をむいたまま渦巻く混沌の闇にのみこまれる。美しい。★★