ミッドナイトムービー
「ミッドナイトムービー(MIDNIGHT MOVIES: FROM THE MARGIN TO THE MAINSTREAM)」(2005 加 スチュアート・サミュエルズ監督)86分
「外国映画で内容は難解、おびただしく血が流れるし過剰に儀式的だった。当時においても暴力的だった。その暴力性には魂とリズムがあった。」
「最後のシーンは手持ちカメラで撮った。あの雰囲気を出したくてね。ベトナムからのニュース映像のような雰囲気。ドキュメンタリー的な映像を狙ったんだ。怖がらせることに徹し、何の希望も与えずに終わる。」
「バラエティ誌は「史上最悪の映画。汚水処理タンクの爆発を思わせる内容」と。まさに思うツボ。悪趣味なものに笑いを与え世に広めるのが僕の使命だ。悪趣味であることに敬意を抱いているから不快な映像でも悪意は感じないはずだ。」
映画、この如何わしきもの 1ねん1くみ みなみとよかず
いわゆるカルト映画ブームを巻き起こした作品群にまつわるドキュメンタリー。
「エル・トポ」(1969 墨)
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生 」(1968 米)
「ピンク・フラミンゴ」(1972 米)
「ハーダー・ゼイ・カム」(1973 ジャマイカ)
「ロッキー・ホラー・ショー」(1975 英)
「イレイザーヘッド」(1976 米)
など、いずれも70年代アメリカの深夜上映で火がついたものである。これらをむかし安いビデオデッキで観たわたくし(「ハーダー・ゼイ・カム」は知らんが)が言うのもおこがましいのだが、昨今の小ぎれいな劇場で上映される商業映画のたぐいとは根本的に体験の質が異なるような気がする。わたくしにとって映画とは常に後ろめたい記憶と結びついている。深夜にテレビ放映されるいかがわしい作品群(「さよならミス・ワイコフ」「さよならエマニエル夫人」「さよならジュピター」など)をこそこそ隠れて観たというのがその主な真相だが、それと同様にカルトがカルトたるゆえんは堂々と観てはいけない感じ、その本質的ないかがわしさにあるのではなかろうか。ホドロフスキーが「大きな劇場にかけたのは失敗だ」(ジョン・レノンがいらんことした)と語っているのはおおむねそういう意味においてであろう。いかがわしくグロテスクで破廉恥、しかし心に消しがたい刻印を残す映画たち。「ロッキー・ホラー・ショー」の冒頭でクチビルが歌う「SF怪奇映画二本立」が泣けるのも、この種のいかがわしさへのノスタルジーそのものなんだよなああ。まあ、映画館なんて数えるぐらいしか行ったことないんだけどね(笑)。ところで本編でちょろっと紹介された「リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の狂気」(1936 米)がおもしろそうだ。★