Grand-Guignol K.K.K

The half of this site consists of gentleness. The other half of this site consists of lie. Sorry, this is all shit in the end. Here is MATERIAL EVIDENCE: (^ ^)ノヽξ

悪文とは何か


悪文とはどういった文章なのかと聞かれてよく論理的でない文章だとか一読しただけではわかりにくい文章だとか一文がダラダラと長すぎる文章ですとか頭の悪そうな文章のことだとかてにをはや文法や構文がめちゃくちゃな文章だとか修飾語と被修飾語が離れすぎている文章であるとか○○的や○○性をやたら使用した文章だとか簡単なことを必要以上に難解な言葉で説明した文章だとか言うがそれもそうだがそういう説明はしょせん表面的な説明にしかすぎないのであって悪文の本質を定義できていない以上それ自体が悪文であると言わざるを得ず、このように悪文とは何かを悪文で説明した文章はよくみかけますが悪文とは何かを悪文ではない文章で説明した文章はおよそ今までお目にかかったことがないのが実情だが、困ります。悪文とは何かを悪文ではない文章で説明した文章で説明してもらわないと悪文とはなにかがさっぱりわからないからだ。しかし私に言わせれば世の中の文章の9割9分ははっきり言って悪文なのであって、ネット上の文章とか学校の教科書とか日本国憲法とか売れている本や雑誌とかに書いてある文章を読んでもはっきり言って何を言っているのかさっぱり解らず多少解らないこともないが他人の書いた文章を理解するにはその他人の脳みそを想像して思考を追跡する必要があるのでそれがひどく面倒なのでやっぱり何を言っているのかさっぱり解らない。こんな事を言うと私の読解力が幼児並みではないのかとかおまえは頭が悪いのではないかとか大喜びで指摘する人もいると思うが、むしろ不毛なレトリックや技巧を駆使してアタリマエのことを書くのは元東大学長の至芸を例に挙げるまでもなく大昔から脈々と受け継がれている人類の伝統芸能なのであってこれからも脈々と受け継がないといけないと思う。というかぶっちゃけた話が悪文であろうがなかろうが意味がわかろうがわかるまいがどうせ大したことが書いてあるわけではないのでそもそもどうでもいいのであってそういうところに現代社会の歪みがうかがえるのである。

●参考文献:『悪文』(岩淵悦太郎著)